4月の桜が咲く頃、柏中学校の同窓生と熊野古道の旅をすることになった。JR紀伊田辺駅で電車を降り、バスと徒歩の旅である。田舎育ちなので足は丈夫なつもりだが…なんせ還暦を過ぎたので完歩できるか心配である。正子隊長の指揮で二日間で合計8時間の「熊野古道あるき旅」の記録である。
熊野は山青く聖地なり…ここをおとずれてそれを感じた。では案内しょう!
出発地・JR紀伊田辺駅で(弁慶像前) リュックを背負った文ちゃん・カっちゃん
栗栖川というバス停で(カッちゃん) いよいよこれから歩くぞ
一日目は「足慣らし」の意味で2時間程度の山越えをして近露王子という小さな町に着いた。
熊野古道というのは平安朝時代、熊野本宮に天皇や貴族が参拝した道をさす。現在はバスもあり道路も整備されてマイカーでも当然行ける。しかし昔はそんなものはないから「徒歩」で行った。かなり困難な道行である。京都から熊野本宮へは半月間かかったといわれる。
なぜ熊野へ行ったのか?それは熊野が聖地とみなされ、そこへ参拝することは天地のオーラをいただくことにつながると考えたからだ。当時京都にあった天皇家は神道である。熊野本宮大社は崇神天皇が建立されたと伝えられ須佐之男の命を主祭神とする。京都からして南の方角にあたる熊野地方は海岸が黒潮に接近し、万物の気に満ちた聖地とみなされた。神道は祖霊崇拝性が強い。日本民族が南から来た…という伝承を具現化する地でもあったとする説もある。
標識はちゃんとある よいしょ、よいしょ~
杉林の中で… 近露の町を見下ろす一行
「熊野詣で」ルートの途中に「○○王子」と称される宿場町みたいな所が処々にある。私はこれは「往路(おうじ)」が語源とみている。「熊野詣で」は上記のような正式な所以の他に、私はこれは上流階級にとっては「ハイキング」みたいな娯楽であったのではないか…とみている。 昔は今ほど簡便に旅行はできなかった。神社参りは格好の理由がたつ旅行である。後白川上皇の時代は33回も熊野詣でをしている。記録では芸人を連れて行き宿場で芸能大会など開いている。男女が共に旅をするのであるからロマンスも芽生えたであろう。真面目な信仰だけでなくそういう楽しみもあった「神社詣で」であったことは容易に推察できる。
これが近露王子の町 峠を越えて笑顔が…
竹の杖も役に立つ 山菜を取りながら歩く足速の文ちゃん
私たち一行は露近王子で民宿「月の家」に着いた。ここが今夜の宿だ。近くに「温泉」があるとききタオルを持って出かけた。修学旅行の雰囲気だ。 世界遺産の地らしくスコットランドの旅人一行も温泉でにぎやかに浸かっていた。川辺には満開の桜が咲き夕闇のなかできれいだった。山が近くてふるさと柏のような風情だった。
皆さんでパチリ 中辺路コース図(近露王子)
ここが宿の「月の家」民宿 とにかく「お疲れさま」!
私は近くの農協系のスーパーでチュウハイを買おうと思っていたら夕方6時には閉店していたのには驚いた。 とにかく2時間も続けて歩くのは御嶽山以来なのでいささか疲れたが、女性たちのにぎやかな声で楽しい夕食を終え、足の疲れをとるツボの刺激を実演するなどして笑いのうちに就寝時間になった。私の寝室を開けると二組のフトンを敷いてあった。千葉から参加したK子さんが「え~誰と寝るの?」と大騒ぎした。私も誰にしようか?と一瞬迷った。誰かが「時間制で交代したら!」と言う人までいて大笑いした。5人も相手にしたら体がもたない。結局そこは私の部屋ではなく女性陣の部屋であることがわかり、おさがわせは幕となった。明日は早朝から出発し、本格的に歩くらしい。
民宿「月の家」のご主人から「本宮」に参拝するときの拍手(カシワ手)の正しい方法とやらを教えていただきました。いささかオーバーアクションでちょっと疑問の気もしましたが、土地の人が言うことですから素直にききました。翌朝の出発時にわさわざご主人が顔を出され、再度指導にしたがった。音をたてない拍手とは…
春の熊野古道の道。緋桃の花が咲いていた。
爆笑が熊野の空にこだます。
桜の下で文ちゃん カっちゃん
美津子さん 桜の下で史子さん
正子さん 美津子さん
いよいよ今日は長丁場の徒歩コースです。中辺路ルートの山道は春風景で、緑の中に桃や桜の花が咲いていました。同窓生で山道を歩くのは「学校の遠足」以来です。「やけの」へ遠足に行ったことや、新田(しんでん)の浜に行ったこと、「ひなあらし」といって春の海辺へご馳走を持って家族で行ったこと、お釈迦さまの「花祭り」で甘茶をもらいにお寺へ行ったこと、中学時代、植物採集で私らのグループが観音岳から行方不明になって消防団が大騒ぎで捜索したことなど、ふるさとでの思い出をおしゃべりしながら歩きました。
あいかわらず速足の文ちゃんは先頭です。途中で山菜を取ったりしながら頑張って歩きました。途中の区間はバスに乗りました。
世界遺産を示す石碑 伏拝王子にて
三人娘 熊野本宮
発心門王子で直子さんと合流し、また歩いて熊野本宮大社へ向かいました。これが人家近くの野山を歩くのですが結構しんどいコースでした。畑の土手にはツクシがはえていました。伏拝王子という変わった名称の所がありました。これは本宮が近くなった感激で当時、伏して拝んだところからそのようにつけられたそうです。茶屋があったので休憩してコーヒーを飲みました。おしゃべり好きのおじさんがいて俳句の記帳をすすめられました。折りしも小雨がパラパラと降ってきたので、
「春の雨 花びら散らす 伏拝の里」 と書きました。
あとひと頑張りです。
森を抜けると突然のように本宮の裏手に出ました。ここはあの大げさな拍手(カシワデ)を打つところです。せっかく教えられたことでもあるので皆で頑張って派手に手を打ちました。
「木ノ国ホテル」は熊野川支流の大塔川ぞいにあり、夜は河鹿(かじか)の鳴き声がきこえ川原では温泉が湧くという風雅なホテルでした。川湯は混浴もできるそうですが、混浴のときはユカタのまま入らなければならない規則でした。夕食は山海の珍味でした。食卓のお手伝いをしてくれた女性が同級生のトミエさんにそっくりで、それが話題になりました。
熊野川を川舟で下る
速玉大社へ到着した一行 熊野速玉大社(新宮市)
食事をしながら皆で話し合い、来年は5月第3土日に尾瀬を訪れることを決めました。
翌日は熊野川を川舟で下り、旅の終着、熊野速玉大社(新宮市)まで行きます。
私たちの熊野古道の旅は、熊野川を舟で下り新宮市の速玉大社が終着地です。川舟は船頭さん以外に案内の語り部みたいなおじさんが同行して、熊野のいわれを語ってくれました。よくわかりました。比丘尼転がし、という難所がありました。これは熊野のお札(ふだ)を各地に売りさばいてそのお金を納めに熊野本宮をめざした尼が、熊野川の難所で転落して亡くなった場所とか、山の神は田植え時期には平地に降りてきて「田の神」になる…とか興味深い話がありました。熊野川というのは川幅が広い大きな川です。岸辺の柳や周囲の山々の緑を見ながらのんびり下りました。
到着地は川口に近いところです。速玉大社は川のそばにありました。景行天皇が創建したと伝えられるこの神社は伊邪那岐ノ神を祭り、全国熊野神社の総本山です。社殿が新しいのは明治16年に火災に遭い再建したためです。
今回私たちは霊験あらたかな熊野本宮大社や速玉大社を参拝したので、今後かならずや無病息災、女性はより美しく、男性はより壮健になるご利益があるに違いありません。
速玉大社からしばらく街路を歩くとJR新宮駅でした。プラットフォームにいたら、ある婦人がとても愛想がいいので訳をきいてみたら、(私が)親戚の人にそっくりだ…と言い、あれこれおしゃべりをしました。熊野古道は風景も人も素朴で心やすらぐ旅でした。還暦を過ぎた柏中学の同窓生の旅、気持はホントに中学生気分にかえりました。無事に旅を完了できたのは熊野の神々のご加護があったためと信じながら《もと女子中学生と行く熊野古道の旅》報告を終ります。
最後に、旅の計画や現地で二泊三日先導役をしてくれた正子さんには全員が感謝です。
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