「アニメランド」は1984年放送開始されました。県内外のアニメファンを熱狂させたラジオイベントです。なかでも夏の公開録音「えびの高原アニメジャンボリー」は東京から人気声優をゲストに招き、えびの高原ホテルで実施。神谷 明、山口勝平、林原めぐみ、日髙のり子さんなど人気声優が次々に来県、貸切バス数台で一泊の有料バスというユニークな企画であり賑わいました。アナは遠藤、俵屋、伊藤、梅垣、前田、富樫、黒部、樫元 洋アナなどが担当、最終回はアニメ作家の芦田豊雄さんやMBC采野アナ、OBSの平野アナも参加しました。アニメランドは1996年5月(744回)で番組は終了、この間公開録音はまつり宮崎、宮交シティ、こどものくに、サンリブ宮崎、旭サービスなど62回を数えた。スポンサーの強い要望で特番のかたちで放送もした。
MRT
すぐやれるというのはラジオの特長である。さてこれは初めての相手である。中武真美ちゃん。局アナではない。普通の娘だが声はすごくいい。ラジオはそれで第一関門はとおる。ただお相手だけたとリスナーが飽きる。なにか個性がほしい。となるとラジオは奥がふかい。番組ははじめTM音楽がなかった。私のアナのみで始まった。「アニメファンの皆さん、こんにちは!日曜日の夕方6時半になりました。これからの30分はアニメファンのための番組です。」おなじみのセリフはBGMなしで言った。30分の番組にTMはなくてもいい。ただし後TMはスポットの関係でないとおかしいので「わが青春のアルカデア」から「おれたちの船出」を使った。1984年10月21日が第一週。30分の放送だった。
1時間に枠大したので「重戦機エルガイム」から劇中の「進撃エルガイム」をOPに使った。TMはカッコよかった。小中学生に与える音楽は元気なのがいい 。私に小学校6年の娘がいて、それまで担当していた「MRT歌謡曲ベスト20」をきけとはまだ云えず、童謡の次はそれにふさわしいもの…アニメがあった。男の子もいて「グレートマジンガーZ」テーマ音楽がかかると夢中で見ていた。冒険と夢のある世界の歌、宇宙を飛び~魔女っ子のように変身するものそれはアニメソングだった。アニメの歌ばっかりかける番組はないか?なければつくってやろう!そして「アニメランド」ができた。東京のデズニーランドはそうは行けないので「アニメランド」で遊ぼう!
それまで樫元が担当していた「歌謡曲ベスト20」でアニメ音楽特集をやり反響がよかった。その路線の延長でいくことにした。ベスト20のアニメ特集での要望は、①声優の心にのこるセリフをもう一度ききたい、②サントラ盤紹介をしてほしい、③人気声優を呼んでほしい、そして一緒にセリフを言いたい、というものだった。超時空要塞マクロスをセリフ入りを紹介した。これはドラマ編からとして15分くらいかかった。その1から終わりまで紹介した。③は実現困難であるが…ギャラの問題もあるがやってみようとおもった。中高生たちの瞳の輝きを見ると「それは無理ですよ、」と簡単に言えなかった。 リクエストを募るためプレゼントはアニメのポスターをおいている田中書店の図書券をもらいそれを使った。1回目の放送はアッというまに30分が終わった。アニメソングだけかける番組ではなく今話題となっているサントラ盤まで紹介してしまう凝りようだった。 1時間に枠大したのは1985年の春だ。そして公開録音の話が営業からあった。デパートの客集めにつかうためには30分ではみじかい。冨永みーなさんが来たいといっているがどうか?と私にあり第一回の公録として決定した。声優だけでやれるか?とにかくやってみよう!普通公録といえば歌手をよぶが歌は唄えるのか?魔法の妖精ぺルシャの主題歌「見知らぬ国のトリッパー」は岡本舞子さんだ。EDは「大好きシンバ」は彼女の歌だ、それをつかおう。
そしてサントラ盤紹介は「風の谷のナウシカ」。ペジテ市の姫君ラステルが「積荷を、積荷をもやして…」と言ったまま息絶えてしまった…という部分を生できこう! 宣伝もしなかったがビックリするほど人が集まっていた。小学生~高校生それに若いお母さんまで、GWにこれは!反響がある!と実感した。富永みーなさんが出場すると会場が沸いた。かわいい声でぺルシァやエクソシストで「殺してやる~」と恐ろしい声を出したり自由自在!声優を呼べば「アテレコに挑戦!」ができる!自分も1回くらいはプロの声優とアテレコをやってみたい! サンリブ・マルショクは以来スポンサーに長くついてくれた。近くのボンベルタ橘は早くから長い行列ができる公録をみてたまげていた。10時の開店を早めての階段をかけのぼる足音でにぎわった。アニメファンはとかくネクラで…と、いいがちだが、明るいファンばかりだ。ただし自分の節はまげない。
マルショクや宮交シティ・アポロの泉、寿屋、こどものくに、まつり宮崎、シーガィア、西都市のコミュテイプラザ・パオ、延岡の旭サービスなど、公録に来た声優さんを上げてみよう。なにしろ春の〇〇まつり、GW、夏の「えびの高原アニメジャンボリー」秋の〇〇まつりに、1年間にステージが6回ある。6人のゲスト声優がくる。10年間に60人の声優さんが来たのです。 都城大丸デパートの屋上の公録では「うる星やっら、アニメ三銃士の平野 文さん。2回目の冨永みーなさん、銀河漂流バイファムのクレア、機動警察パトレイバーの泉 野明、まっ白いドレスできれいでした。 お相手は遠藤アナ、公録がおわってアナのサインをせがまれてこまっている遠藤玲子アナでした。
「松井菜桜子さん、原えり子さん」 夏、宮交シティの紫陽花ホールで公録があった。仲よしの二人は宮崎に来るのを楽しみにしていた。そして空き時間に宮崎の海で海水浴をしたい!という希望だった。青島海水浴場は平凡なので南郷町の小島をえらんだ。いまは南郷プリンスホテルがたっているが海に面したきれいな絶景のところだった。私の友人の千穂さんも同行して海水浴をした。ビーチがきれいで海がすきとおってみえた。目の前に小さい島がみえ珊瑚もあった。
車でかなり遠かったが4人は日曜日の海水浴を楽しんだ。二人は自分たちのことをチリリンと愛称づけた。また呼んでくださいと言いハイスクール奇面組が人気があったのでえびの高原にもゲストに呼んた。自分たちでサイン会も開きなかなか積極的な二人だった。
「アニメランド公録の参加証明カード」です。裏に1番から500番までうってあり「確かに参加しました。」という証明書です。(市内で来場ファンが多い時は1000番まで打った)プレゼント用の番号にもつかった。
公録に行ったというファンに発行したカードです。来た声優と会場名を書いてありたしかにあなたは参加しましたよ、と証明した。公録を10年間に60回したので60枚発行した。会場に行き、サインもなにも当たらなかった人の寂しさを考えてやろう、せめて参加証明カードだけてもあげよう! 行きたくても行けずラジオで涙できいた人には「涙の不参加証明カード」も発行した。ハガキで申し込むと送ってきた。 公開録音を実際に立ちあうとお判りになると思うが、拍手で迎えるのはゲストではない。会場のファンだ。ファンにどこから来たの?何時ころから?とインタビューをする。自転車で来る人が多い…朝はやく会場につき前の席をとるには結構たいへんだ、そして会場で目立つためにはアニメのイラストにうったえるのが1番!そして今回のゲストの紹介となる。TMのあとにすぐゲストの紹介ではない。
1994年に発行された「MRT開局40周年記念史」には次のように書いてある。アニメの歌だけで構成する「アニメランド」は、スタート以来MRTラジオのユニークな番組としてリスナーや業界から注目されました。普段はロボットアニメ特集や魔女っ子アニメ特集をかけていますが、スぺシャル番組の公開録音では、東京で活躍する有名声優を宮崎に呼びます。大勢のファンを前にして、おなじみの極め付けのセリフやコントを演じてもらい、観客とステージの一体感を演出して共感と興奮を呼び起こしたり、劇場用人気アニメの場面の音声や効果音を紹介するなど、アニメにタ―ゲットを絞った専門番組として、大胆な企画とユニークな構成でたちまち人気番組に育ったのです。 えびの高原ホテルと営業が夏休みに子供たち高原で遊ぼうと「びっくりアドベンチャー」という企画があった。観光バスの活用である。この「びっくりアドべンチャー」に歌手というより子供たちにうけるアニメランドの声優をよんだら…という話しがあり伊藤美樹さんを呼んだ。内容は高原で子供たちと一諸に昆虫をとったりして遊ぼう!というもので声優に歌を唄わせようというものではなかった。いわゆる営業企画である。いまいちで、びっくりアドベンチャーできている子供たちに合う企画ではないな、と感じた。反省会があり、つぎからは君も企画にはいってくれ、といわれた。声優をメインにした「アニメジャンボリー」が生まれた。バスツアーと銘打って矢尾一樹と本多知恵子。超獣機神ダンクーガの藤原 忍。機動戦士カンダムムのエルピープルで人気の二人。公開録音となった。
そしてブレイクしたの1990年、平成2年の草尾 毅と林原めぐみという人気声優がゲストだった夏でした。告知後すぐ満員になりました。しかも半数は県外からの応募者で、バス8台を連ねて行く盛況でした。思いがけず大きくなった番組の成果を素直に喜んでおります。番組のバックボーンは「チャレンジ精神」でした。「易きを取らず困難に向かう」をモットーに、常々リスナーの気持ちを尊重して制作しました。実行にはかなりの努力が必要でした。(宮崎放送40周年記念誌から)
草尾 毅さんと林原めぐみさんはバスを連ねて「えびの高原」へ行く公録は珍しかったのか参加者と一緒になってはしゃいでいた。どちらも人気者でした。宮崎交通ではまるで修学旅行にでもいくような雰囲気だった。えびの高原は夏でも涼しく高原と温泉そして公録があり、しかも草尾・林原という鎧伝サムライトルーパーと摩神英雄伝ワタルのヒミコ、らんま1/2の女らんまの林原さんというスペシャルな夜だった。 公録が終りその場で写真撮影会
、皆が撮れるようにワンポース10秒間で3ポ―ス撮った。そして質問コーナーがあった。熱狂した翌日は野外音楽堂でサイン会、ファンにとつてたまらないお泊まりのツアーだった。興奮のあまり発熱して、看護婦はいないかとの急病さわぎになりさいわい林原さんが看護婦の資格をもっているので急遽看護婦になって容体を診てもらうパブニングがあった。
翌年は日高のり子さんと魔動王グランゾートのラビの安達 忍さんでにぎわった。日高さんの事務所の安楽さんから 「どうしてあんなにファンを動かせるのか?その理由をきかせてほしい。」と聞かれた。「ラジオ放送のイベントであり週一の番組でPRできるから…」と答えた。そしてファン第一で番組をつくっているから…といったがどこまでわかったかどうか…。ラジオでアニメを番組に!と、これまできいたこともない話しに取りくむとき社内で「アニメフアンはしつこいからね~」と銀河漂流バイファムで苦情がきたテレビ編成部員がいた。敵にするか見方にするか?私は自分の子供が夢中になってアニメを見ているのをみて、よし自分はアニメファンの味方だぞ、ときめた。
「魔女っ子特集」のリクエストハガキをもってレコード室にいたら、「あら樫元さん、知らない人がみたらちょっとヘンな人ね、と思われるかも」とレコード室の女の子が笑いました。鉛筆でかいた子供の絵の書いたハガキばかりを持っていたからです。そういえば可愛いいえんぴつのハガキは…こどもは字と絵が仲良しです。
黒部アナが「まつり宮崎」で場内アナウンスをしています。カメラを見てにっこり笑顔です。このまつり宮崎でもアニメランド公録と中継をしました。ヤングステージで4回、なにしろ宮崎放送の主催する催しですから…とくに生中継ははじめてで神谷 明さんと伊倉一恵さんのコンビでした。木曜日の夜7時30分から8時30分まで会場から生中継しました。シティハンターの冴羽 獠と槇村 香がやってくるとあって賑わっていました。神谷さんはキン肉マンや北斗の拳のケンシロウ、うる星やつらの面堂終太郎の声で有名だ。カッコいい男からキン肉マンまでなんでもござれだ。
梅垣博子アナはえびの高原アニメジャンボリーで、その回のゲストは神谷 明さんと吉田古奈美さんでした。黒部アナは大阪出身。まつり宮崎のときは場内アナをしました。TVOテレビ大阪に転勤されアニメランドをやめた。黒部さんが辞めるあたって「感謝状」をファンの皆さんに贈った。 最後に自筆でサインを入れた。こんな細かいことができるのがラジオである。 野沢雅子さんからこんな葉書をもらった。 「年賀状を一度出したのですが、お年玉付きですので、このハガキを使用する事にしました。又、出す理由は樫元さんから頂いた賀状見て嬉しくてお手紙出しました。写真を使って下さってもう最高に嬉しくって言葉では言いあらわせません。ありがとうございます。横浜市、野沢 雅子 平成20年元旦 」
宮崎市の「こどものくに」公録で会場でサインが当たった車イスのファンに野沢さんと影山さんがかけよって一諸に記念写真をとった…そのシーンをいいます。野沢さんにとって、そしてあの子にとっても忘れられない場面となったことでしょう。このとき影山ヒロノブさんもドラゴンボールZのED「チャラへッチャラ」を唄い公録ゲストでマイクを持ってニコニコ笑顔で記念写真におさまっていた。 2002年5月「こどものくに」で番組はすでに終わったのにスポンサーがぜひにと言われて公録をした。ゲストは神谷 明さんと古川たか子さんだった。そこで以前お相手をした伊籐佳子さんと遠藤玲子さんに話すと喜んで祝電をくれた。
祝アニメランド公開録音!伊籐佳子。私も参加したい気持で一杯です。ファンの熱気がなつかしい!私はいま東京の文化放送で契約アナウンサーの仕事をしています。たまにラジオのニュースを読みますので宮崎でもながれているかも知れません。4月からみのもんたさんのラジオ番組のアシスタントをしています。私生活では二人の子供と一緒にアニメを見ています。皆さん、今日は思いっきり楽しんて下さいね。
北陸金沢市から、フラワーフェスタ会場におこしの皆さん、おひさしぶりです。遠藤玲子です。私も会場に行きたいです!あのテーマ音楽と最初のナレーションはいまでも忘れられません。あの頃のリスナーからいまでも手紙をもらったりしてますよ、皆さんと一諸の楽しい時間をすごした思い出は私の大切な宝物です。いま金沢市に住んでいて北陸放送でラジオの仕事をしています。MROのホ―ムぺ―ジをのぞいてみて下さいね。アニメランド魂をもつ仲間の一員としてスペシャルの復活を心からお祝いします! 茨城県の石岡市に今は住んでいる俵屋美津子さんからも祝電がとどきました。アニメランドファンの皆さんおひさしぶりです。NGみっちゃんこと俵屋美津子です。ひさびさの公開録音ですね。ファンの皆さんも感激でしょう!私が担当をしていた頃はNG5でもりあがっていました。夏のえびの高原アニメジャンボリーもなつかしいです。私は今、水戸黄門の故郷、茨城県に住んでいます。声の仕事としてはナレーションの仕事をしています。最近は子供と一緒にアニメ番組を見ています。番組がなくてもアニメランドは不滅です。また皆さんにお会いできますように!俵屋美津子(林 美津子)
<ラジオでアニメ番組に挑戦!> 「月間民放誌の1990年12月号から」 民間放送が出版してる業界誌に載りました。それから紹介しょう。宮崎放送「アニメランド」はラジオでの60分番組です。リクエストハガキによってアニメの主題歌をかけます。時にはス―パーや百貨店が提供主で、そこの催場で「公開録音」を行います。昭和五十九年(1984年)十月にスタートして以来、今年で六年目、放送回数は三百回を超えました。公開録音は合計三十回、ゲスト声優を東京から呼ぶ「アニメクイズ」や「アテレコ挑戦」などのコーナーはファンも参加してにぎわいます。参加者は五百人から時には千人を超える時もあり、ローカルラジオ局のイベントとしては営業的ににも好調です。 「アニメランド」を制作するにあたって、バックグラウンドになったのが「MRT歌謡曲ベスト20」です。私が担当していた頃の同番組は週に千五百枚くらいのリクエストハガキが届いていました。それを自分で目を通していました。ハガキにはもちろんリクエスト曲が書かれてありますが、それ以外に、感想とか不満とか……いろいろなコトが書かれてあります。そのいわば「つぶやき」を読みとって、番組作りの重要な参考にしていました。毎週千五百枚のハガキ全部に目を通すのは大変ですが、それをしないと私の年齢では歌の世界の潮流を読むことができないのです。
「めんどうな作業はアルバイトにまかせてたら…」と言われたこともありましたが、私にとっては大事なプロセスでした。 さて、そのハガキの中に「アニメ特集をして下さい」という一枚を見つけました。当時「オフコース特集」や「サザンオールスターズ特集」などを時に組み好評を得ていましたが、ベストテン番組といえどもチャートを毎週紹介ばかりしていると聴取者も飽きるものです。数週間後にまた「アニメ特集をして!」というハガキがありました。別人です。リクエストハガキを子供が自分のお金で買って投函する、という行為はたいへんなコトなのです。
わずかな自分の小遣いの中から出費するのです。そこに書かれていることは、ほとんど「本音」です。三千枚の中に二枚もあるとは……これはきっとなにがしかの需要があるに違いない、とにらみました。しかし「歌手」の特集は組みましたが、「アニメ特集」とは……一体、何をどうすればいいのでしょうか。 ところで、「MRT歌謡曲ベスト20」は当時TBSの「ザ・ベストテン」と連携し、チャート資料を送ったり中継をしたりしており、宮崎でも人気番組でした。上京してザ・ベストテンの談話する機会がよくありました。演出の弟子丸さんから学んだことは「チャレンジ精神」でした。お金も人材も舞台装置もすべてそろえられる東京で番組を作り、それが他より抜きん出るために……ザ・ベストテンがとった方法とは、安易につかず困難にトライするという「チャレンジ精神」でした。 以来「チャレンジ精神」は私が番組を作る時のバックボーンになりました。未知の分野のアニメに対して「めんどうくさい・むずかしいから・知らないから……」と逃げるのではなく、よい機会だととらえて開拓してみよう!と勇気をふるいたたせました。私は自分の才能をアテにしてないのです。すぐ番組のリスナーに助けを求めをました。「アニメ特集をやってほしい、というハガキが届きました。しかし私はアニメについて知りません。詳しい人はスタッフになって知恵を貸して下さい!」と。すると、「スタッフになりたい!」というハガキが二十枚ほど届きました。
その人達にMRTに来てもらい、相談しながら練り上げたのがアンケート方式によるアニメ特集で、人気声優ベストテン、好きなキャラクターベストテン、好きなアニメソングベストテン、話題のアニメ作品、印象に残っているセリフ……などで構成する内容でした。この特集を放送したところ大評判で数週間後にパートⅡも作りました。 この「ベスト20」の担当は昭和五十九年十月、後進に道を譲る、との観点から若いアナウンサーに交代しました。しかし私は若い人達とせっかく持ち続けた接点をすべて失うのは残念でした。「ベスト20」とは競合しない分野で、なにか音楽番組をできないかなあ……と考え「アニメ音楽だけ」の番組づくりをすることに思い至りました。
名称はアニメーションと、当時から子供(大人も)に人気だった東京ディズニーランドの語尾をくっつけて「アニメランド」としました。企画書を茂田制作部長に堤出すると「…これはテレビでやるの?」と言われました。たしかに「アニメは映像で存在するもの」という先入観があります。しかしこの映像に生命を与えるのは声優によるセリフであり音楽であります。音響の比重は画と同等である、という事実に目を向ければラジオのフィールドであります。映画音楽と同じように映像の世界を伴っなっているだけにインパクトは強列です。 私もはじめはアニメソングといえば「宇宙戦艦ヤマト」と「キャッツ・アイ」ぐらいしか知らなかったので、三十分番組で充分だろうマイナー番組覚悟でスタートしたのですが、その後、反響が週を追って高くなり四月改編で一時間になり今日に至っています。アシスタント初代は中武真美さん、二代目からは局アナで遠藤玲子、俵谷美津子、伊籐佳子アナとひき継がれています。さて「公開録音」の一時間の枠内で何をすれば聴取者は満足するのだろうか?その答えを引き出すために、「ゲスト声優に何をしてほしいか?」をハガキで募りました。すると「サインをしてほしい! あの名セリフを生でききたい! 一緒に写真をとりたい、 握手をしてほしい……、声優さんとアニメ台本で一緒にアフレコできたら夢みたい!……」など。
私は建築家になってあれこれプラン練ります。その結果、声優とファンが即興的にコントで共演する「アテレコに挑戦コーナー」や「アニメクイズ」「言ってほしいセリフ」なとが誕生しました。 これらに採用されるとアニメ台本やポスター、握手券、記念写真撮影券などがもらえ<一生の記念>になる興奮を味わえるのです。私が気を配るのは、なるべく多くの観客を番組中に参加させる、ということです。主人公は番組を支えているリスナーでありますから、この基本的な考え方に立って構成しております。ゲストの決定はハガキの「人気投票」によって決めます。これまで来宮したのは、神谷 明、古川登志夫、草尾 毅、中村大樹、佐々木望、西村知博、矢尾一樹、山寺宏一、平野 文、田中真弓、山田栄子、伊倉一恵、松井菜桜子、原えりこ、林原めぐみ、の皆さんなどアニメ界の人気スターばかり。ファンにしてみればギャラに関係なく人気声優の名を書いてくるので、その出演交渉をする私は大変です。
青二プロダクションの田中部長にはいつも無理を頼んでばかりで、感謝しています。キングレコードの林さん、サムライトルーパーのオールメンバーを宮崎に派遣して下さって、足を向けて寝られません。今夏八月の「えびの高原アニメジャンボリー」(一泊二日の有料イベント)の際はゲストが草尾、林原という人気声優だったこともあり、告知後すぐ満員になりました。半数が県外からの応募でした。今、第二次声優ブ―ムといわれ、憧れる若い人が多いので公開録音は毎回大にぎわいします。公録に参加した人には「参加証明書」というカードを全員にあげています。これは「自分はあの有名な声優をこの目で見たんだぞ!」と友人に自慢する時に効果を発揮します。バスや電車や自転車で熱心に来てくれるファンに、番組からのささやかな「お返し」です。 今や番組のファンは九州各県はもとより四国、兵庫、京都、石川、横浜などにも広がり、遠距離からMRTの電波をとらえて熱心に聴いているのが読みとれます。
岡山の男の子からは「アンテナを1時間手に持って(そうすると感度が上がるらしい)聴いています!」というたよりがあって感動しました。「雷が鳴ったから再放送」というのがあります。熱心なリスナーはたいてい番組をラジカセで録音しながら聴いています。ところが夏場は夜間によく雷が鳴るのです。同録中にガーガージージと雷の雑音が混入して「もう許せない!」と立腹の結果、局に「雷が鳴ってうまく録れなかったから再放送おねがい!」との嘆願ハガキがかなり届きます。これにすぐ 応えてやれるのがローカル局ラジオの面白さです。
アニメは広大なマーケット 東京のコミケ(マンガ同人誌の即売市)は二十万人を動員する現状だと聞きました。地方都市でもマンガ制作思向の若い人は多く、このためアニメランドは専用電話「コミケ情報テレフォンサービス」を持っており、常時県内のコミケ開催に関する情報を流しています。これは特にマニアに好評です。現代の子供達はTV画面に向かって、まず「アニメ」から見はじめます。となればアニメというのは特殊な分野ではなく広く子供の世界の共通文化である、ともいえます。広大なマーケットとして存在するのです。 番組作りは「商店」に似ています。制作者は大番頭。お客さんが何を好むかを察知して、いち早く品ぞろえするという日々努力があれば、その店は繁盛します。ただ、商店の客は見えないので気づきません。ハガキやリクエストはお客の貴重な意思表示だと思って大切にしたいものです。先月七日、「アニメランド」が「全国にも類のない青少年向けの優れた娯楽番組」として評価され社長表彰を受けました。今後もリスナーに喜ばれる番組を作っていきたいと思います。 (1990年12月 月刊民放 制作ノートから 宮崎放送「アニメランド」ラジオでアニメ番組に挑戦 毎週水曜21:00~22:00)
アニメ雑誌を見ていたら「アニメランド」のことが載っていた。かなり詳しく、ロ―カル局だがアニメをラジオでやり全国的に話題になった。ゲストに人気声優を呼び公録は話題になったと…20年まえに終わったアニメランドについて担当者の心意気を話そうと思いペンをとりました。サンリブで朝開店時前にシャッターが開きます。お客さんのドドドという足音が四階まで伝わってきます。公録を見に来るのです。キャプテン翼の山田栄子さんやタッチの日高のり子さん、寿屋でも「うる星やつら」の平野 文さんなどファンは開店まえから待つているのです。西都市では広場で「今日は西都でいつもみたいなファンは少ないだろう。」と油断して田中真弓さんと西都の西都原古墳を見に行って帰ってきたら大勢のファンが待っていたこともありました。田中さんとマネージャーは機嫌が良くて、飛行機のチケットに二人の年令を27歳と28歳と私が書いて東京に送ったのです。私は女性の歳はきけません。それが良かったらしいのです。田中さんは「天空の城ラピュタ」のパズー、ドラゴンボールのクリリン役をしていました。かならず男の子の役で「可愛い女の子をやってみたい!」と云っていました。今はONE PIECEで忙しいでしょう。
レコードがなければ借りればいい…との発想。放送局だからどんなレコードもある、というのはまちがいです。 とくに子供むきのはないのがあります。なければ買えばいいのですがレコード店にもすでにない場合があります。アニメランドを開始時のこと、リクエストが来てそれをもとにかけるのですが、時に「アニメのナツメロ」の週もあります。レコードになってないソノシート時代に流行った歌もリクエストがきます。MRTのレコード室には無い歌がきた時、そのハガキは「無視して」しまうか?なんとかして探すか?私は後者です。番組で呼びかけます。「ソノシートです。レコード室にはないので、もっている人がいたら貸して下さい。」すると、「私はソノシートはあるのですが、なんせ昔のことなので聴けるかどうか…」というハガキがきます。その人のところへ借りにいきます。そのままではレコードがかかりにくく33回転のレコード盤をおき、その上でかけると聴けるのです。子供の歌の場合それがたまにあります。
中古レコードの専門店にもよくいきました。アニメのドラマ編はよく借りました。レコード室にはないけれど専門店にはあるのです。それから聴取者に「私のお願い」で借りるのです。赤江の長友くんはその「常連」で「あ、その歌ならありますよ」と貸してくれました。部屋にいくと昔のオモチャなどがたくさんありました。彼は体がよわいみたいでいつもその部屋にいました。彼から「アニメのナツメロ」をよく借りました。 アニメの歌はTVでかかっても1番だけです。いちど3番まで聞いてみたい、その歌が好きならそう思います。アニメランドなら完奏してくれます。いつもカセットで録音しながら聞くのです。
『えびの高原アニメジャンボリー』体験記 高知市 峰友真理
1990年8月、宮崎県えびの高原…。夏は涼しいはずのあの山合いで、全くあの2日間ほど「なんて熱い時間を過ごしたのだろう!!」という思いを感じた事は、それまでも、そしてその後もありませんでした。今も手元に残っている、記念のスナップや集合写真…。ゲストさんやホスト役の樫元&伊藤アナウンサーと、緊張と期待に満ちた笑顔の参加者達の写真です。 あれから悠に25年近くを経たにも関わらず、1つ1つを思い出してはあの楽しくてあまりにも幸せを感じた時間が瞬時に蘇り、暫くその記憶に支配されてしまうから不思議です。 当時、私は「鎧伝サムライトルーパー」というアニメでブレイクしていた草尾毅さんのファンで、全国に散らばる同じ思いの友人達と一緒に各地のイベントやコンサートなどに足を運んでいました。 そんな中、仲間内から「どうやら宮崎で合宿形式のイベントがあるらしい」という情報が流れてきました。そんなチャンスを逃す訳には参りません。
早速、開催局である宮崎放送に電話を掛けたところ(今のように、ネットなどは普及していない時代です)丁寧な対応をして下さったのが、なんとラジオ番組の仕掛け人であり責任者である樫元アナウンサーでした。 しつこく質問を繰り出す県外の私に、参加する為の詳しい説明を1つ1つ繰り返して下さったのです。私の期待は、この時に大きく膨らみました。 「これは、今までに参加したイベントとはそんな経緯で参加できたえびの高原アニメジャンボリーは最高に幸せな2日間であり、また驚きと感激の連続でした。朝10時に宮崎交通本社を出発したバスの列はえびの高原までの長い山道をゆっくり走り、途中のコスモスが綺麗に咲くという公園で芝生に座りお弁当を広げていたら…なんと二人のゲストさんがすぐ近くで同じくお弁当を食べているではありませんか!! また、全部で9台のバスに行きと帰りで順番にゲストさんが同乗してトークを展開して下さるという信じられないサプライズプレゼント!! 初っぱなからビックリしましたが、これはこの、ことごとく意表を突かれる2日間の助走でしかありませんでした。違う何かがありそう!!」 この時に、同じくゲストとして招かれていたのは人気がうなぎ登りだった林原めぐみさん。 これは参加権の競争率が高そう…と心配した事でしたが、どうやら何とか詰め込んで下さったようです。 そんな経緯で参加できたえびの高原アニメジャンボリーは最高に幸せな2日間であり、また驚きと感激の連続でした。朝10時に宮崎交通本社を出発したバスの列はえびの高原までの長い山道をゆっくり走り、途中のコスモスが綺麗に咲くという公園で芝生に座りお弁当を広げていたら…なんと二人のゲストさんがすぐ近くで同じくお弁当を食べているではありませんか!! また、全部で9台のバスに行きと帰りで順番にゲストさんが同乗してトークを展開して下さるという信じられないサプライズプレゼント!! 初っぱなからビックリしましたが、これはこの、ことごとく意表を突かれる2日間の助走でしかありませんでした。
緑深い山道をひた走り到着したえびの高原はひんやりと涼しく、盛夏の暑さを忘れさせてくれる気持ちの良い台地でした。 少し硫黄の薫りが漂う場所で前述した記念写真の撮影会があり、そして会場となるえびの高原ホテルへ移動します。 割り当てられた部屋で少し休憩して皆でバイキング形式の夕食を頂いてから、いよいよ待ちに待ったラジオの公開録音です。普段のイベントでは草尾さんと私達ファンはステージと客席という敷居があり、高い場所にいるゲストさんを客席の遠い位置から見上げている訳です。 でもアニメジャンボリーの会場はなんと畳で、ステージと客席はなんとなんと雛壇とお座敷です!! ゲストさんは少しだけ高い位置にいて、立てば目線はほぼ同じ…。 マイク無しの地声も聞こえるし、表情も吹き飛ぶ汗もすぐ近くで分かるし…。それまでに私が参加したイベントではあり得ない事です。 期待に満ちて始まった公開録音!ファンとしてはゲストさんの動く姿を見ているだけで幸せなのに、生歌あり、質問コーナーや生セリフのコーナーあり、アフレコのコーナーあり…と、内容は盛りだくさん!!
中でも県外の私が圧倒され驚いたのは「目立とう精神ナンバーワン」というコーナー。 文字通り、会場内で1番目立ったリスナーさんが選ばれます。この、地元のリスナーさん達の一体感がもの凄い!!!!これは番組がこれまでに築いてきた底力なのだろう…と思いました。 それから、各コーナーで運良く指名された方へのプレゼントがこれまた凄いのです。 サイン色紙をはじめ、サイン入りの特大ポスターにハンカチにTシャツに台本に、それからゲストさんも欲しがっていた他では絶対に手に入らないプロモーションビデオなどなど…。 ファン垂涎のこんな非売品ばかりが、これでもかこれでもか!!…と出てきます。 そして更に驚いたのは、プレゼントの中には握手券、記念写真の撮影券まで!! プレゼント袋や封筒の中身が紹介されるたびに会場は騒然となり、大きな拍手と悲鳴に包まれました。(後で聞いたのですが別の公開録音では「魔法の手紙」なんていう、ゲストさんから後日ハガキが届くというファンなら泣いて喜ぶ企画もあったそうです。) ふと気が付いたらゲストの草尾さんも林原さんも他でのイベントよりもハイテンションで、何だかもの凄くはしゃいでいらっしゃる…? それに負けないくらいのテンションで会場の全ての参加者も盛り上がり、幸せに包まれていて、みんなの笑顔と歓声ばかりが溢れていて…。 そんな全く信じられないような魔法にかかった空間が、そこにありました。
公録が無事に終了した後も写真撮影会や質問コーナーやフリートークが続き、幸せな夜はまだまだ終わりません。 次から次へと出てくる至福の驚き。私と友人達は、後にこれを「幸せの樫元マジック」と呼んでいましたが…。 2日目も、もの凄いサプライズが待っていました。 午前中には野外ステージでのトークショーがあり、その後にはなんと参加者全員との握手会が…!! ここでも樫元マジックの炸裂です!!!! 当初は予定されていなかったらしい握手会。 樫元さんがマネージャーさんを通して、プロダクションに特別にお願いして下さったのだそうです。 お昼は森林の涼しいそよ風に包まれながら皆で和気あいあいとカレーライス作りに励みましたが、そのカレーまでもゲストのお2人が途中からファンに囲まれて一緒に食べるという…。 アニメジャンボリーならではの、普段は絶対に見られない光景がそこかしこに展開されていました。「地元のファンの子達は、普段声優さんとはなかなか触れ合えないから…。」 「ローカル番組には、ローカル番組のやり方があるんです。」 「ローカルだからできる、ローカルでないとできない事で地元のリスナー
を喜ばせる事ができます。」 「私は昔、少年時代に大好きだった巨人の王貞治選手にサインを貰った事がありとても感激した思い出があります。あの時と同じ感動や喜びをリスナーさん達にも味あわせてあげたいのです。」 これは、後に私が樫元さんと何度かお話をさせて頂くようになってから聞いた言葉です。
こうした強くて暖かくて優しい信念の基にあの素晴らしい番組が作られていたのだと、地方の放送局が地元で出来る最高のプレゼントをプロデュースしていらっしゃったのだと、県外の私はちょっぴり羨ましく思いながらそんな時間をご一緒させて頂いた事に今更ながら感謝の念に絶えません。何度もしつこく書きますがあの信じられない、とんでもないサプライズ続きの時間…。 何よりも樫元さんが大切にして演出して下さったのは「ゲストさんとファン達の触れ合いの瞬間」、そして私達ファンの「輝く笑顔」だったのでしょう。
えびの高原アニメジャンボリー、そしてアニメランド…。あの夢のような場所に参加できたリスナーさん達も今は立派な中年世代です。大人になり社会の荒波にのまれ、家庭を守りながら嫌な事も楽しい事も経験して必死に今を生きているかもしれない…。 だとしても、あの感激と感動に胸を熱くした時間を懐かしく思い出して「また明日も頑張ってみよう」と、時々はそんな幸せに浸るのもまた素敵な事ではないかな…と思います。 (高知市 峰友真理)
「プレゼントについて、」 番組をきいていると賞品をもらえる!私はあれが好きでプレゼントをよく出しました。とは云っても初めは何がいいのかわからず、リーブル書店の店先で500円の図書券を買いました。5人ぶんの2回で5000円です。それを出すと結構応募がありました。店にいくと店長が「こないだの券は番組用だったのですね!それじゃウチから次はこんなものはどうでしょう?」とただでいいもの品物をくれました。「ありがとうございます。」ともらってきました。当然リーブル書店からのプレゼントです。宮崎には田中書店もあります。同じ要領でポスターなどたくさんもらいました。アニメのポスターなど一般の人にはなにか、とおもわれるかもしれませんがアニメのファンには貴重なのです。ポスターをもらって賞品にするのはいいが発送はどうするのか?当選者はよろこんでいる。ポスターが届いて見るとシワがよっていた、では困ります。段ボールの△型の中にいれて送ります。このカタチを思いつくのに時間がかかりました。
まえ「歌謡曲ベスト20」のプレゼントのときに発明しました。段ボールの会社に交渉して「ポスター送り用」に作ってもらいました。絵入りのポスターは送る時の手間を考えると…やめてしまいます。しかしポスター送り用の段ボールがあれば簡単です。 下敷きとかアニメの載っている商品は結構あります。その声優さんが来た時にサインをもらっておきプレゼントにします。よろこばれました。「シティハンターの冴羽 獠」とか「セーラ―ムーン」の出演声優さんにサインを入れてもらいました。
おもしろいのが「サインボール投げ」です。公録に来ているファンは「現場にいくとうまくするとサインぐらいはもらえるかも…」と思ってきます。しかし新進の歌手はそうあっても、アニメ公録にくる声優はそういきません。そこで考えました。色紙でなくサインボール投げはどうだろうか?ボールにサインをしてもらい、彼(彼女)の曲を背景にサインボール投げをする?面白い!これは大受けしました。50個にサインは大変ですが…現場にきて「大変ですがファンが大喜びするので…」と頼むと気持よくやってくれました。実は100個ほど用意するのです。野沢雅子さんも影山ヒロノブさんも喜んでやってくれました!モチ投げと一緒ですから会場の誰かにサインが当たります。投げて受けとりやすい玩具のテニスボールですが、それにサインが入っているから貴重なのです。 「魔法のハガキ」は公録用のプレゼントです。あとできっと喜ばれるだろうとこの「魔法のハガキ」をしました。公録で当たった人は葉書に自分の住所と名前をかいて声優さんに渡す、すると今日の公録の感想をかいて東京の消印がついて返事がかえってくる。実際は飛行場で返事を書き東京で出してくれるのです。ゲストの送り迎えを私がするから可能なのです。公録で時々プレゼントしました。二度宮崎に来た声優さんなど気持のわかる人に頼みました。当たったひとはラッキーでした。神谷さんなど気持のわかる人にはよろこんで書いてくれました。当たった人には「好きな声優本人から」返事がくる魔法のハガキですから…
写真は2003年5月に行われたアニメ公録「ドラゴンホールZ野沢雅子&影山ヒロノブ」のあとステージのまえで写真当選者と記念写真をとりました。番組は終了していたが宮崎交通の祭事担当の人から是非にと頼まれてアニメ公録をしたもの、サインボール投げでもり上がりました。女性のファンは広島からかけつけてくれた知美さん。女子アナは倍 友子さんでした。 塩沢兼人さんの思い出は、聖闘士星矢で牡羊座のムウをやり、静かで優雅で気品のある、しかし聖闘士の中では超強といわれる超能力を持つ戦闘力のムウ、セリフを言うときもどこか神がかったところがあった。塩沢さんの声がピタリとあっていた。ハイスクール奇面組の物星大くんはちょっとおかしく笑ってしまった。まつり宮崎のゲストに来た。人柄もよく「歌が唄えないのならかわりにコカコーラをイッキに飲んでもらいます!」という設問に「では…」とイッキに飲みほした兼人さん!拍手の中で「かわいそう~」という声もした。後で考えてみると酷な設問だったな、と反省した。次の日に日南海岸で広い青い海を見て岩の上でのんびりしていた。宮崎の海がよくあっていた。
昭和59年にスタートして以来9年目をむかえた「アニメランド」。タウン宮崎から取材にきた。だれだって一度はきいたことがあるハズ。今、話題のテレビ漫画から、幼い頃聞いていたなつかし~い歌まで、ハガキのリクエストによってかけてくれるアニメ専門のラジオ番組。小さい頃見ていたキャンディキャンディにガッチャマン。アニメソングって時代の流れを感じられる名曲ばかり!アニメ情報や話題のアニメ作品の特集、公開録音など全国でもユニークなアニメ番組でした。公開録音に来たゲスト声優さんたちとのスナップです。名前が何人わかりますか?すべて正解のあなたにはラジオでプレゼントがもらえるかも? この番組知ってる!知ってる! 取材した「タウン宮崎」の女性記者から、この写真はカラーで載せます、と云いました。彼女もアニメファンだったようです。 コミケ情報もテレホンサービスに入れ案内した。番組で一回いうだけでは聞き逃しがあるのでテレフォンサービスに入れ告知した。
「宮崎に来た声優たち!」というDVDを作った。男性は、矢尾一樹 緑川 光 山口勝平 堀川 亮 中村大樹 山寺宏一 古川登志夫 草尾 毅 佐々木 望 西村知博 竹村 拓 塩沢兼人 置鮎龍太郎 竹本孝之 子安武人 檜山修之 関 俊彦 金丸淳一 神谷 明 芦田豊雄 影山ヒロノブ MBC采野アナ、OBS平野アナ、 女性は、冨永み~な 林原めぐみ 本多知恵子 日高のり子 安達 忍 伊倉一恵 高山みなみ 川村万梨阿 吉田古奈美 松井菜桜子 原 えり子 山田栄子 宮村優子 井上あずみ 宮里久美 田中真弓 草地章江 池澤春菜 伊籐美紀 小幡洋子 荒木香恵 折笠 愛 渕崎ゆり子 松岡洋子さん 井上喜久子 富沢美智江 緒方恵美 平野 文 野沢雅子さんほか、
録音テープの保存はカセットテープとMDでしている。ただMDをソニーがやめてしまった。MDではティアックのみである。ただCDの兼用機で便利だ。すこし値段が高いのだが…カセットやMDの音をCDでききたいと思っている。
地元の月刊誌に「タウン宮崎」の女性記者がその頃アニメランドのことをきき取材した。人気声優ばかり宮崎に来ているので「うわー」と声をあげ「これはカラーぺージにします!」といって写真を借りていった。野沢雅子さん、神谷 明さん、田中真弓さん。林原めぐみさんなどがカラーで載っている。「宮崎に来た声優たち!」を作ろうと思ったのはこのカラーぺージのことが影響が大きい。
長崎の斎藤さんがオンブル・ブルーという絵の本を出している。「マイナー出版社」なので…とご本人おつしやるが、 宮崎放送のアニメジャンボリーがえびの高原で声優の日高のり子さんと安達 忍さんがゲストであるという話をきいて斎藤さんは安達のファンであるので興奮した。ハガキがきて「8月に公録で宮崎へ安達さんがいくのですが、ご存知でしたか?」とあった。宮崎の電波はとどかないので委細をしらべ電話で参加申し込みをした。「安達 忍さんinえびの高原」である。宮崎交通本社からバスでえびの高原へ、いきなり昼食場所の生駒高原でご本人に遭遇してしまう!安達さんとは約1メートルの殆ど目の前である。遠まきに見守る参加者たち、とても一児の母とは思えない若々しくて可愛い方でした。公録会場はホテルの宴会場、たたみの、修学旅行で食事をする広間です。
安達さんは薄いブルーのパンツスーツ(フード付き)髪には白いヘアバンドでラビのイメージ♪「こんばんはーっ 安達 忍でーす!」樫元「あらためてファンの皆へラビの声で挨拶をお願いします。「はい、」「オレ!ラビ!やっと来たぜ地球によ、でも大地が二週間前に来たんだってな、すれ違っちまったせ、全く!」キャーという声、樫元「安達さんには小学生がいらっしやるそうですが、やっぱりラビやって!とかせがまれたりするんですか?安達、あのねぇうちの子はもう飽きてるんですよ、勉強しろよとかいわれていますから…「安達さん、ここで一曲歌っていただきたいのですが…」会場でキヤーキヤーと騒ぐ!あのここだけの話しですがアンチョコ見ていいですか?大丈夫です。構いませんよ!ここだけの秘密ということで、みんな聞いてますけとね! 目の前でご本人が歌う「どーだ!」CDのセリフの言い方とか、はまっててもう最高!思わず倒れそうになっちゃった!
さて安達さんと「アテレコ・コーナー」です。安達さん、それじゃあ水色のブラウス着たオネエサマ!なんと斎藤さんに!おわって地に足がついていない状態で会場へ戻りました。空飛ぶコアラです。1991年の夏ですから今から25年前の出来ごとです。
DVD「宮崎に来た声優たち!」を見ました!私の名前が入っていて私の為に作ってくださった事がわかり感動しました。私がアニメランドを聞く前にあった公開録音の写真もあり沢山の声優さんの貴重な写真を樫元さんの解説文とともに見ることができアニメランドの歴史を感じられて嬉しかったです。
ゲスト声優さんを見ると、その時代に人気だったアニメがわかりますね。アニメジャンボリーに参加したときゲストだった声優さんの写真を見て、この時に行ってたなーと懐かしくなりました。芦田さんと樫元さんのツーショット写真は初めて見た気がします。樫元さんの様子がわかる写真も見ることができ、話し方教室を続けられ元気そうな樫元さんのお姿に安心しました。素敵なDVDありがとうございました。大切にしますね、広島の宮本さん。
アニメ公録:草尾 毅さん、サンリブ宮崎で5月3日、「若い」というより「初々しい!」という感じ…(≧▽≦)目の前の大勢のファンのどよめきのような反応と、次々に展開される工夫を凝らしたコーナーに、戸惑いながらもいつも以上にはしゃいでいる感じがしました。この時の草尾さん、まだ二十歳をちょっと過ぎた位でデビューしたばかりですものね…。それに、相変わらずプレゼントが豪華でしたね~。・:*:・゚☆,。・:*:・゚そして、会場の熱気が物凄いっ!
あの優しくて暖かい樫元節も番組の中ではご健在で、オープニングのご挨拶や耳に馴染んだBGMなど全てを懐かしく拝聴致しました!放送の中で集まったファンは1000人近くだと話されていましたが、まだ年若い学生さんばかりを相手に番組を取り仕切るのは、大変なご苦労もあったのではないでしょうか…(^_^;)番組の内容自体も、とにかく今聴いても全く古さを感じない、中身の濃い一時間の放送でした。
懐かしいアニメランドの記念写真です。 2002年5月 「こどものくに」でゲストは神谷さんと古川貴子さんです。 番組の放送が一度おわったのに「こどものくに」側が公録をやってといって開きました。だから神谷さんにお願いして番組がないのに公録をしました。たしか61回目の公録でした。 営業にお願いしてPRを特別に打ってもらい…の約束でしたが営業はそれをせずに…いつもとは違ってちょっとさびしい公録でした。 営業に言うと 「いゃあアニメランドだから人が来るでしょう…」と楽観視してPRしなかったのを憶えています。
内容はサインボール100個なげ、言ってほしいセリフ、アテレコに挑戦!、目立とう精神ナンバー1、アニメクイズ、歌は「キン肉マンGOファイト!」でした。サイン色紙を100枚かいてください、と言われれば「ちょっとそれは…」と嫌な顔をされますが、サインボールなら100個気がるに書いてくれました。そしてステージから投げるのです。皆よろこんで受けとります。玩具のテニスボールです。BGMは「コナンのテーマ」が流れます。見に行ったけれど何にも当たらなかった、そんな人がないように「参加証明カード」を全員に配り、運がよければサインボールが飛び込んでくる仕掛けです。魔法のハガキが当たった人は東京から神谷さん自筆で礼状が届きます。
先週末、中学時代のアニメ友達2人が上京してきて、30年ぶりに3人でアニメランドを聞きました。山田栄子さんの公開録音のです。私は恥ずかしいからやだって言ったのですが、無駄な抵抗でした(笑)。聞きながら、当時は若さのエネルギーに任せて色々バカやったなぁとか、アニメランド聞いたり、録音するのに毎週必死だったなぁとか、アニメランドがあったから、今でも80年代のアニメソング全部歌えるわ、とか、昨日の事の様に盛り上がりました。3人とも、住んでいる場所も仕事も全く違うものになってしまいましたが、あの頃の思い出は変わらないなぁと、でも、2人の子供はしっかりアニメファンに育っていてつくづく遺伝子って恐ろしい(笑)。2人は「子供にはしっかり勉強して欲しいんだけど」って言ってましたが、「そりゃ無理だ。同じ年の頃私達アニメに夢中で勉強してなかったやん」って私が突っ込むと、「それ言われると反論できない」ってため息ついてました。
また、いつか3人で集まる日が来たら、きっと盛り上がるのはアニメランドの話だろうねと、笑って別れました。ネットも携帯もパソコンもない時代だったけど、いい時代だったと思います。 由結より (都城出身、アニメーターで脚本家。「おねがいマイメロディ」「スクールランブル」などコメディ・ギャグアニメの作品を得意とする。)
芦田豊雄先生はえびの高原アニメジャンボリーのゲストで来てくれて、公録の中で青島海水浴にきた客の一人として声の出演をした。なかなか上手だった。由結ちゃんがアニメーターで働くスタジオ・ライブの社長でもあったが、「社長、宮崎へいきましょうよ!」と誘ったらアニメランドの活躍を知っていたのでノーギャラで二人でいっしゃった。大広間でサイン色紙を持ちファンを前にスラスラとワタルを描いた130人にである。会場は熱気であふれた。 翌日、日南海岸にいった。堀切峠のむこうの波状岩をわたりながら「いまこんなストーリーを考えているんですよ、薩摩隼人の一族が、この日南海岸の波状岩の海で活躍していた。その若者と海をわたってくる族との間で戦争になる…」と語った。ワタルの続編のようだった。青島が舞台の物語は未完に終わったが…残念だった。
アニメランド公録の歴史。 このほかにも竹村 拓さん(都城ダイマル)、川村万梨阿さん(まつり宮崎)、井上あずみさん(えびの寿屋)、西村智博さん(サンリブ宮崎)の公録などあり賑わいました。 神谷 明さん(えびのアニメジャンボリー)、野沢雅子さん(MRTダイヤモンドホール)は何度もゲストで来宮しました。 公録で「来てほしい声優」をハガキに書きその人気投票の上から順に事務所に交渉したのです。当時の人気声優さんが軒並み宮崎に来たことになります。なかには「飛行機がニガテで…」という方には特急富士の一等車で来た方もあります。緑川さんや松岡洋子さん、松岡さんは好きな特急に長く乗れるのでニコニコしてました。
公開録音 年度 会 場 録音時間
〇 冨永み~なさん 1985年 5月 サンリブ宮崎 5階催し場にて 30分
〇 宮里久美・竹本孝之さん 1986年 春 こどものくに 60分
〇 井上あずみさん 1987年 6月 えびの寿屋 60分
〇 結城梨沙さん 1988年 正月 サンリブ宮崎 60分
〇 塩沢兼人さん 1988年 夏 まつり宮崎 ヤングステージ 60分
〇 神谷 明さん 1989年 夏 まつり宮崎 ヤングステージ 60分
〇 松井菜桜子さん 1987年 夏 ロビンソンプラザ 広場にて 60分
〇 富沢美知恵さん 1987年 正月 宮交シティ・アポロの泉にて 60分
〇 八尾一樹・本田千恵子さん 1987年 夏 えびのアニメジャンボリー 60分
〇 神谷 明・吉田古奈美さん 1995年 夏 えびのアニメジャンボリー 60分
〇 平野 文さん 1988年 5月 宮崎寿屋 屋上にて 60分
〇 原 えり子・松井菜桜子さん 1988年 えびの高原アニメジャンボリー 60分
〇 山田栄子さん 1988年 5月 サンリブ宮崎 5階 60分
〇 佐々木望・中村大樹さん 1989年 8月 えびの高原アニメジャンボリー60分
〇 田中真弓さん 1990年 5月 西都パオ前で 60分
〇 神谷 明・伊倉一恵さん 1990年 3月 フラワーフェスタ会場から中継 60分
〇 山寺宏一さん 1990年 都城ダイマル 5月 催し場 60分
〇 高山みなみ・中村大樹さん 1990年 8月 空港広場 60分
〇 古川登志夫さん 1990年 10月 サンリブ宮崎 60分
〇 林原めぐみさん 1990年 8月 えびの高原アニメジャンボリー 60分
〇 草尾 毅さん 1990年 8月 えびの高原アニメジャンボリー 60分
〇 山口勝平さん 1991年 1月 サンリブ宮崎 60分
〇 関 俊彦さん 1991年 3月 母智尾の桜まつり 60分
〇 堀川 亮さん 1991年 8月 えびの高原アニメジャンボリー 60分
〇 日高のり子さん 1991年 5月 サンリブ宮崎 60分
〇 緑川 光さん 1992年 夏 こどものくに 60分
〇 神谷 明・子安武人さん 1992年 秋 南郷町ハートフルセンター 60分
〇 野沢雅子さん 1992年 春 こどものくに 60分
〇 金丸淳一・冨永み~な・山口勝平さん 1992年えびのアニメジャンボリー 60分
〇 松岡洋子さん 1993年 7月 サンリブ宮崎 60分
〇 日高のり子・安達 忍さん 1993年 夏 えびのアニメジャンボリー 60分
〇 折笠 愛・芦田豊雄さん 1994年 夏 えびのアニメジャンボリー 60分
〇 野沢雅子・影山ヒロノブさん 1995年 夏 こどものくに 60分
〇 神谷 明さん 1991年 5月5日 旭化成サービス本店、てるてる広場 60分
〇 井上喜久子さん 1995年 秋 シーガイア・パラダイスガーデン 60分
〇 神谷 明・古川貴子さん 1996年 秋 こどものくに 60分
〇 池沢春菜 佐土原産業まつり 10月26日 (日) 15時~翌日20時~樫元、黒部亜希子№59
〇 淵崎ゆり子 宮交シティ・アポロの泉 11月24日 樫元、黒部亜希子 60分、№60
担当は樫元 洋アナ、中武真美ちゃん、遠藤玲子アナ、俵屋美津子アナ、伊藤佳子アナ、梅垣博子アナ、前田晶子アナ、富樫吉樹アナ、黒部亜希子アナです。このほかにも谷沢アナや倍フリーアナも各地の催しのアニメランドの司会をしてくれました。 いま「アテレコに挑戦!」のコーナーを「声優入門」として活用できないか?と、 バンパイヤーハンタDの塩沢兼人さん、ラムちゃんの平野 文さん、シティハンターの神谷 明さん、 「アテレコに挑戦!」コーナーを具体化しょうと考えています。当時カセットをCDにして音声をパソコンで聞くためにはMP3をつかう…等の技術的なことが必要です。ネットも携帯もない時代に人気があった番組の一部をブログで聴こう…という話ですから。 最近、言語聴覚士の奥村さんの技術により具体化して、私の「ギターを持った渡り鳥最新版」で音声が聞けるようになりました。閲覧数が三万人をこえました。