「小さな独りごと」、というコーナーを作った。日々の出来事のなかで心にとめることなどをメモしていく。
5月12日(木) 久しぶりに大阪の「話し方教室」のビデオを見た。10年まえ飛行機でかよった。映像はそこにいるような迫力である。大阪での私の最終回なので特別に許可をとって録画した。「上六話し方教室」梅田校だ。新しいことを学ぶよろこびに浸っていた。三品先生のもと8名の部屋で「話し方」のあれこれをならった。発声発音はもとより、人に好かれる表現、説得など地方に住んでいては学べない事ばっかりである。6ヵ月のインストラクター期間がアッという間に過ぎた。ふりかえってみると新鮮な衝撃の期間だった。新宮さん、山内さん、船瀬さん三人で習ったインストラクター、自分に教え、他に教える事を考えて勉強していた。それが私は役に立った。のちに公民館での「話し方教室」の人気ぶりだった。山内さんが福岡でRKB立身のアナにならっていたけど、発声練習とかお手本を読む練習ばかりであまり面白くなかった。この上六話し方教室は違った。人間関係の構築がへたで悩む人へ、とか…あがり防止方とか、昔風にいえば「自分を磨く講座」である。なぜか他人より遅れをとってしまう自分がいるとか…自分に声援をおくる講座なのだ。
5月11日(水) 取材者が来た。地元新聞のH記者と写真部のMさんだ。発病から7年後の脳出血と失語症について、たんなる病後の記録ではなく「話し方教室」をまたしょうというのだから…おもしろい。女房ともども経験談を話した。普通は脳出血を一度するとなかなかもとの身体にかえらず夢をあきらめてしまう。私も失語症で80%ぐらいしか表現できないが…なんとか昔の感覚にちかくなったので西地区センターで「話し方教室」をまたやることにした。取材について話すと6年まえの不確かな記憶を思いだした。逆瀬川言語聴覚士によりここまで来た。鵬翔高校の看護専攻科の生徒の協力より「自己紹介」の練習。これからは実社会に出て反応などを得て失語症を少なくするしかない、と悟り、私の得意分野の「話し方」をテーマにして教室を開くことにした。5月17日(火)からだ。
しゃべるのは生徒で私はその感想やアドバイスを言う立場だ。しかし話しを多少は記憶しなければならない。そのためには「12回立って声にだして読みましょう!」と練習させる。1分の話しだから12分だ。やればできる。ビデオも使う。
5月9日(月) 北海道を旅した二人から絵はがきが届いた。広島からGWに北の土地に初めて旅したとあって、見るもの食べるもの興奮の中だったという。そんなお便りから紹介する。
5月2日(月) パソコンが直った。ついでに記憶装置のバックアップは必需品だ。写真など貴重なものが多いのでアイ・オーデータを買ってつけた。親戚のさゆりちゃんがDELLにつとめているので強いので日曜日にとりつけた。これで安心だ。お礼に顔写真をとった。ニッコリ笑っている写真だ。この間富士通のポータブル・パソコンをつかった。ハガキには便利だが、やはりDELLの方がいい。なんといってもEDIUS・エデオスビデオ編集機がつかえる。先日「柏中学の思い出」という写真をもとに40分のを作った。労作だった。柏中から最近まで同級会や旅の写真をもとにしておりハワイのワイキキの旅まで楽しめる。何回も見る。自分の青春だ!
4月21日(木) 今日は理学療法士の大迫さんと言語聴覚士の逆瀬川さんで西センターに行きトイレなどを点検した。8年前にできた所で快適だった。ただ左手だけですべて操作するのですこし慣れないといけない。センターには月山さんがいた。DVDは教室内で見ることができる、と月山さんが言った。7年まえのDVDが見れる。これは朗報である。あいさつから…はじめて手の動作、上半身と顔の動きなどDVDならである。理屈よりわかりやすい。自分の欠点を確認できる。宮崎でビデオを使ったのは私のアイデアだ。ちょうど自分でビデオ教室をやっておりDVDが廉価で普及してだれでもDVDで家庭で見えるようになった。練習をビデオでとる…というとなんとなくイヤだったが、円盤でただちに自分の出来ぐあいが確かめられ、効率よく上達した。病後実社会に再スタートできたのもそのお蔭だ。講師としてアドバイス役ができることを鵬翔高校の生徒の実習生の逆瀬川先生のおがげである。とにかく脳出血の後遺症で忘れていることがおおい。すこし思い出してすぐパソコンに書く、現在の頭の半分はパソコンだ。
生徒の「実習」は毎週わが家に一人きて40人ほど続いた。一人20分ほど時間をつかい「自己紹介」をした。みんな高校3年生で自己紹介は必数である。そのコツをおしえた。それが今日の「話し方教室」の基礎である。
4月18日(月) こんにちは!柏の山本トミエさんからですね。①松山で同級会、②大阪城で同級会、③USJと奈良の旅、④ビーチで同級会、⑤ハワイで美女の旅、⑥柏と柏崎の盆踊、⑦柏の秋祭り、まで注文うけました。お金は800円7本です。つい最近のDVDで写真と解説の40分のなつかしい「柏中学の思い出」を作りました。これは500円で売り出し中です。文ちゃんとトミエさんの金額で他の人は送料だけでお分けします。140円です。いまパソコンが修理中です。なおればDVDを作ります。
4月18日(月) こんにちは!柏中の思い出、DVDをありがとう!昔のなつかしい写真いい思い出ですね。かっちゃんの笑顔がとてもいい。モッちゃん、またね、呼びかけているようです。何といっても中2の時のクラス写真がいい!女子だけのですね!中学の時の大野先生の子供さんとはびっくりしました。貝塚市民病院の大野先生には骨粗しょう症の時にお目にかかります。佐納モト子
4月8日(金) 西地区交流センターに行き挨拶をした。倉永館長と月山さんに会った。久しぶりに西センターに行き懐かしかった。応募者が20名をこえたと言って反応の良さに喜んでいた。館長の妹で宮崎の病院で仕事をしている人が、参考までに参加したいと話していた。弟が名古屋のほうで言語聴覚士の仕事をしており理解があった。夜の講習であり、人に話しをするときにあがるのでそれをなんとかしたい、という人が多い。私も病気(脳出血)のまえならスラスラとなんでも答えられたが、今はなかなか…鈍行でいく列車と同じで時間がかかる。後遺症があり会話はどちらかといえぱニガ手だ。しかし頑張るぞ!7年まえの西交流センターの録画テープをDVDにしたのを見ながら決意をあらたにした。ビデオもその時はテープだったが今はSDメモリーカードかわった。カメラが無音なのでいい。
DVDのモニターがありそれを教室内で出来るようにしてもらえば、7年まえの西交流センターが見られる。
3月30日(水) 「話し方教室」の応募者が15名を越えた。という、西地区センターからの報告だ。喜ばしい数字だ。知りあいからも「今からでもいいかしら?」という人がいる。私の病後をふきとばすうれしさである。「話し方」という普通のことながら、ちゃんとした話し方を教えてほしい、という人が案外おおいものだ。あいさつは人間の基本である。ともだち同士ならなんの支障もないが、社会にでて目上の人や上役にモノをたのむとき、態度や言葉づかいに迷ってしまう…どこかでちゃんとした話し方を教えてほしい!切実な願いである。大阪の「話し方教室」にまなびにいった成果がそこにある。あいさつは人間関係の基本である。はじめて会う人にどういう態度をとればいいか?人間関係の基礎というのはあんがい簡単なものである。
3月23日(水) 不思議なご縁です。私の友達はほとんどが大阪に住んでいます。中学を卒業すると紡績工場に務めるため関西に来て以来60年貝塚市に住んでいるのは佐納モト子さんです。先日、骨折して貝塚市民病院に来ました。整形外科の先生が大野先生といいます。骨粗症のため毎週いくのですが、先生といえば中学生のころ大野先生の担任になりやさしく厳しくいい先生でした。それを思い出して…それにしてもその先生が姿かたちが似ているのです。中学の大野先生に…カルテの筆跡も大野敏幸で、名前も大野敏先生ににているし第一顔がそっくりなんです。気になって、とうとう昔もらった中学の先生たち7人が写った池のそばの写真を持って行ったのです。「先生、失礼ですが、出身はどちらですか?」と聞くと「はい、僕は松山です。大阪の阪大医学部を出てここに来ています。」
私が「これは中学3年のときに教えていただいた愛媛県の大野敏先生は、もしかしてあなたのお父さんでは?」「そうです!若い頃の父です。佐納さんも愛媛からですか!父は若くして肺がんで亡くなりました。」というではありませんか!写真をまじまじといました。見て「これは父です!」といいます。なんという不思議なご縁でしょう!医師の大野先生もやさしくいい先生です。昔の大野先生を思い出しました。たしか樫田さんという柏の娘さんと結婚されたとか聞きました。先生が「あの娘が、結婚してくれないと死ぬ…というんだよ…」と夜の職員室でそうゆううちあけ話しをきかせてくれたのを思い出します。若い先生でした。柏の田舎の小さい学校で、昔教わったことなどが鮮やかによみがえりました。
2月28日(土) 御岳高原の旅、とても紅葉のきれいな所ですね。沖縄の旅ビデオはひまさえあれば見ています。とくに「あらかると編」と本編は私にとっても念願のビデオです。平和の礎、あらかると編ははじめに聖子と二人で写っているし、記念館のなかで父の名前を押して図面が出て、あの地図を見ながら歩きながらさがした画面など…本当に思い出のビデオです。上を見ればきれいな空、下を見ればきれいな海でしたね。…沖縄のビデオを見ながら…
2月21日(日) 今日は「由布院の人気」についてお話しします。いま九州で一番人気のある観光地は由布院と黒川温泉です。私は由布院に行ってみました。JR由布院駅を降りると、駅の横から「観光馬車」がでる。観光バスじゃなくて「辻馬車」です。これに乗りました。ポックリ、ポックリと馬の「ひずめ」の音を響かせながらスタートしました。そのゆっくりしたスピードがとてもいい。ちいさい町ですから、しばらく行くとすぐ農村風景になりました。
御者の兄ちゃんが手綱をとりながら由布院の説明をしてくれる。エンジンの音がないから農村のしずかな空気が直接つたわってくる。なんかふるさとに帰ったような、気分になって、心が癒されました。私がいちばん、印象に残ったのは、駅の構内にある「観光案内所」です。ここにベテランの中年のご婦人が二人いて、きけば何でも親切に教えてくれる。この観光案内所、最近は若い女性がスチュワーデスみたいな格好をして座っている。あれはダメです。若い女性は気がつかないし、親切心がない。若い男性の一人旅なら、インフォーメーションに若い女性がいれば喜ぶでしょう。
しかし旅をする人の主流は「女性」です。その女性が、自分より若くてきれいな人を見て喜ぶはずがない。旅は心を癒すために出かけるのです。そういう「旅心」がよくわかっているのが由布院だなあ、と思いました。
(例2) 今日は「寄席で学ぶ」ということでお話し致します。先日、東京へ行った時、落語を生でききたいと思って寄席に行きました。 千代田区の永田町にある国立演芸場です。国立だけあって入場料金も安く、主に若手落語家の話がきけました。 プログラムを見ると、春風亭○○。桂○○。柳屋○○という、きいたような名前の知らない若手落語家が出演していました。 やはり初めは「前座ばなし」といって、かけ出しの若手が高座に出ます。 羽織着物姿で「え~一席おわらいを申し上げます。」と扇子を片手に座布団の上で話し始めます。
値段も安いこともあって客も常連さんが多く、私の隣の席は、お年寄で、じ~っと寝ているのかなと思ったら、寝ながら聞いている…という、お客のほうが芸が細かい人もいました。 ふつう私達はテレビで落語を見ます。テレビに出るのはかなり上手い人です。上手い人の演じる話というのは自然に見えます。ところが、前座をやる若手はそうはいきません。 声の強弱、目線のつかい方、しぐさやセリフ、とれをとっても「今一歩」なんです。しかし私には、その方が勉強になりました。「あ、あれじゃあいけないな…」と感じるところが多くありました。 勉強というのは、上手い人を見るのも勉強になりますが、下手な人を見るのも勉強になります。むしろ下手な人を見るほうが、失敗例がよくわかり、私には勉強になりました。皆さんありがとうございました。!
(例3) 皆さん、こんにちは!料理は前々から習いたいと思っておりました。今回、とても良かったのは、はじめに「料理の完成品」をデジカメで撮ったのを見せてくれたことです。それを見て「あ、こんな料理を作るんだな」と目標がハッキリしました。どうもレシピだけでは「出来あがり姿」が私にはわからないのでとても助かりました。それと同じグループになった人達が力を合わせて作り上げたことも楽しかったです。これを機会に料理のレパートリーを増やして、妻が入院した時にあせらないようにしたいと思います。皆さん、ありがとうございました。 これは料理教室に入会し、あいさつした時の1分間の原稿です。これを見ている人達も「自己紹介」の挨拶としてなにがしかの参考になる。
2月4日(木)立春 こんにちは泰憲です。福岡から帰ってきました。宮崎は暖かいです。ちょっと痩せました。10キロぐらい…今日は姉のお宅にお邪魔しています。車でかえり二日間ほどいます。ちょうどプロ野球のキャンプの時期です。ソフトバンクを応援しています。宮崎でも県庁から山形屋どおりまで優勝パレードがありました。いい天気で生目の球場は賑わっています。大宰府は梅の季節です。
2月2日(火) 正月には七海が帰って来たので早速、樫元さんのDVDの力作を見せました。はっきり憶えていて何回も嬉しそうに見ていました。今年が成人式で写真をとったり、行事に参加したり毎日バタバタして東京に帰ってしまいました。友達とのつき合いが優先するらしく、家にも満足にいませんでした。 「海は友だち!」の出演者より…
1月18日(月) まえ「奥さま9:30」というテレビ番組があった。出演したアシスタントがその頃をふりかえって答えた。①TVに出て何を感じましたか?(答え)こんな普通のおばさんがTVに出ていいの?MRTて何と太っ腹なんだろう!。番組名をみてください。「奥さま9:30」です。②毎週毎週TVに出るので着るものに困ることは?(答え)知り合いのブティックに借りたり、友人に借りたり、小物でごまかしてました。地方局のTV出演者の多くは結構着るものに困ることが多い。なかなか言えないことである。
1月16日(土) 中学校の同級生から電話があった。久しぶりだった。秋に北陸の旅へいった。正子ちゃんと美っちゃんと3人だった。正子ちゃんは筋肉の病気かかっているので力を付けようと、朝の新聞配達をしている。美っちゃんとそれはやりすぎにならないかと心配した。増元くんは私のところへ電話があり年賀状をもらったが返事をかかなくてすみません。元気だから…と言った。北陸の旅は金沢でご馳走がいっぱい出てよかった。美っちゃんはご主人が亡くなってこれからはどこでも行くから誘ってと言っていた。との内容だった。宮崎がもっと近ければ5月の「話し方教室」にいくのに…と言った。
1月13日(水) 年賀状、返信のお葉書きが250枚ですか?!凄いですね。郵便局の人が 「最近はメールでの年賀が多くて…」とこぼされていたのを思い出します。先日送って頂いた父や母のDVD見ました。樫元さんにコメントも入れてくださり懐かしさで泣きながら母と見せて頂きました。DVDでの写真のら列だけなら「あっなつかしいね。ありがとう!」で終わるのですが、コメントが一枚一枚ついており、それを読んでいると私の、母の気持がそのとおりだと思いまして思わず涙があふれました。本当に有難うございました。高千穂に神楽を見に行った事思い出しますね。いい句ができましたね。カッポ酒と神楽宿セットですね。5月からの「話し方教室」是非参加させて下さい。楽しみにしています。
1月15日(金) 寒中お見舞い申しあげます。賀状ありがとうございます。懐かしい写真付き、樫元様の温かいお心遣い大変嬉しく拝見致しました。御病気なさったとの事伺っておりましたが、お元気に頑張られていられるご様子何よりです。私も朗読好きでしばらく辞めておりましたが、又再会する予定でおります。声を出すと元気になりますね。どうぞご無理なさいませぬようご自愛くださいませ。横浜市の順子より
1月12日(火) 12月にテレビを見てると長嶋名誉監督が出ていた。NHKの有働アナと対談で結構ながい時間で面白かった。私が聞きたかったのは脳梗塞のため右半身麻痺になり、しかし意欲的に活動していることだった。言葉はやはりすこし聞きにくかったが、よくわかった。最後に有働アナが「いま一番したいことは?」とたずねると、ちょっと考えてから「走りたい!」と答えた。あの病気はやはり走ることができにくい。後遺症の克服のためリハビリにすごく力をいれているが、長嶋さんといえども二~三歩、はしることが困難である。私は自分もそうだ。脳出血で同じような症状である。走るときの爽快感をまた得てみたいものだ。あらかじめ倒れた時のクッションで水泳がいいかな?
1月11日(月) 月曜だが成人の日で休日だ。DVDでナレーションを入れた。もう何年もしてないが…病気の都合もあり、6年間なにもしないでいた。そろそろやってみよう。器械がすっかり変わった。佐土原ビデオクラブのEDIUSを借りて編集機は万全だ。音入れはカメラのマイクをつかう。何度か録音してそれをEDIUSに入れた。原稿は字幕どおりだ。マイク用のチャンネルを使う。これからナレーションを何度か入れてみたい。
1月11日(月) 今年の正月は東京から照くん一家が帰ってきた。正月は飛行機のチケットがとれないので10日の連休にした。二人の子供がくると途端ににぎやかになる。ケイと心ちゃん。私のDVDの作り方をアドバイスしてもらいEDIUSを会社で使っているから、と早速やってうまくいった。 ところで話しはかわるがNHKのラジオ体操は男性が担当しているが、たまに女性がやることがある。あっラッキーと思いながら聴く…岡本美佳さんという体育大学を出た女性で感じがよい。いつも男性の声で頑張るよりいい。あれにロ―カル版というのがあり津軽弁や沖縄弁でその地方の「ラジオ体操」かあって面白い。自分の子供のころ夏休みラジオ体操によく行ったものた。
1月5日(火) ハッピーバースデイ!おめでとうメールが富士通から届いた。パソコンを買ったときに届け出たからだ。本人も忘れていたのに…律儀に、それにそう・けん・び体操教室に、フェイスブックも…もう60歳をすぎるとぎると忘れてもいいのに思い出してしまう…体操教室などは派手に飾った写真いりの紙でくれる。ありがたいけれど…誕生日がうれしいのは小学校のころである。 「体操教室のバースデイ・カード」
1月4日(月) 「私のMRT」を聞きました。大変なつかしく、ノイズもなく音源がクリアすぎて涙が出そうでした。自分の部屋にテレビのない時代、当時、ラジオを聞きながら過ごしていたわれわれ世代には学生時代のたくさんの思い出を彷彿させてくれるDVDでした。最近あまりラジオを聴くことが少なくなりましたが、あらためてラジオを流しながら通勤移動や集中力の必要な自宅業務に取り組んでいきたいと思います。ー感想の手紙だった。MRTも今年からFMできけるが、内部ではかなり前から番組をFMでモニターしていた。同録など全部FMで、「私のMRT」も音質はそうである。一般の人がAMできいていたわけである。しかし今年からFMになる。
28年1月2日(土) 年賀状が来た。読んでいき一枚一枚それぞれの家庭のことが伝わってきて楽しかった。なかで年賀電話があった。自分はハガキを出す代わりに電話で挨拶をする、という人だ。聞いていると「おめでとうございます。身体の調子はどうですか?声の調子はいいみたいですよ、家内が悪くて最近はいかん、100メートルあるいては休みで、バイクは乗れるのだが…年賀はがきに書いてある「話し方教室」を5月からやると、それに俺もいってみるから…という声だった。
ふるさとの同級生からあった。「もう私は年賀は出さんので…」と言って年賀電話だった。賀状をみたよ~ありがと~一緒にハワイに行った時の写真、懐かしいねぇ~あんたも脳出血のその後どうしてる?声はなおってるよ、足の麻痺がすこしは良くなった?私の方は☐☐さんがアル中でいまはちがうところで生活しとるのよ!あっ電話料金があまりないのでまたね。と言って切れた。年を取るとるとあちらが痛い!こちらが痛い、の医療相談の医者みたいだ。それはしばらく置くとして、若いときはいいこともあったのだから、その妙なる思い出を楽しもうではないか!海外旅行にいったことなど何度思い出しても楽しい!
昔の8ミリ時代からのつき合いで父の友人から電話だ。父と趣味のことや取材のことなど話しのあと「私も最近はダメよパーキンソンのため半分寝いてる。年賀は出せないけど電話で話す状態よ、」と言った。なるほど書けないけど話せるのだ。お田植えには行きたいと思っている。趣味は体が動くとはまさにこのことであろうか?
12月21日(月)快晴 広島から娘が正月休みを早めにとって新幹線で帰ってきた。鹿児島まで新幹線さくら、特急きりしま、で5時間!。もみじ饅頭をお土産に持って…私も年賀状書きがおわってひと息入れる処だった。何枚書いたか娘に確かめると260枚だ。結構書いた。パソコンになって書くのが楽になった。パソコンといえども一枚一枚返事を書くように私はしている。写真も入れる。12月なるとこれに集中だ。一年に一回の旧友からのたよりが心をうつ。大切に扱いたいと思う。
12月5日(土)曇り こんな転居あいさつがきた。 日頃はごぶさたばかりです。小生は寄る年波には勝てず、このたび子供の世話になる事となり、長男の経営の食器店の片隅に小部屋を増築して隠居生活をはじめる事と相成りました。一ッ葉浜の景勝地や海に眩しい太平洋もご在いますれば一服の清涼剤としてお立ち寄り下さい。先ずは皆様方のご健勝をいのり、越年のほどお祈り申し上げます。 敬具 十二月吉日。 四国から身ひとつで宮崎に来て財をなした叔父の隠居らしい言葉である。
11月28日(土)晴れ 趣味のDVDの制作が完成して友人に届けた。「海は友だち!」というヨットで遊ぶ記録である。カメラで撮ったものである。「BGMと画面がピッタリでおおいに海のにおいが漂う雰囲気がつまっていました。20年前の結婚式の写真や七海の小さい頃の姿をみると懐かしく思い出します。正月には七海が大学の休暇でかえってきますので、早速一緒に受賞作品を見たいと思い楽しみにしています。」 趣味も自分の楽しみだけでなく、結婚式、子供が小学生になった、中学生になった、大学生になったことを折り込むと、遊びの記録だけでなく成長記録にもなる。カメラだから冗長さがない。最近のビデオ記録はただ長いだけで、フイルム時代に鍛われた感覚をともすれば忘れがちである。
11月27日(金)晴れ 2008年9月、クモ膜下出血でたおれた万佐子さんは、失語症と右半身麻痺の中で絵を画くことがひとつの望みとなった。見せていただいた。梨の絵はみごとである。絵もいいが背景の色もいい。私もおなじ失語症である。麻痺もあるがパソコンで書いている限り活字は普通である。言葉のリハビリは続けている。言語聴覚士が共通の人で今日お宅にうががい会った。私が「話し方教室」を開く準備をしていることに彼女は驚いていた。彼女が散歩を2時間くらい歩くというスタミナに私は驚いた。互いに一歩一歩あゆんでいこう。
11月26日(木)曇り 「話しが下手で自覚症状のある人」を調べた。-特徴-次のとおりである。
①、何を話しているか分らなくなる。 ②、私はあがり症なんだ。 ③、頭が真っ白くなる。 ④、性格だから仕方ない。 ⑤、生まれつきだから直らない。 ⑥、手や足に汗をかく。 ⑦、心臓がどきどきする。 ⑧、赤面してしまう。 ⑨、相手の目が見れない。 ⑩、特に初対面の方とうまく話せない。
対処法をのべる。 ①、とにかく練習をする。 ②、自分だけではないんだ。 ③、練習 ④、友達とは話せる。 ⑤、友達とは話せる。 ⑥、人は見てないから… ⑦、いい所を見せようと… ⑧、たいていの人はあがる。 ⑨、余裕があるね、 ⑩、練習、これらは話しの練習がいる。それなしに成果は得られない。
まず演席で客席にあいさつをする。挨拶は起立で「みなさん」 頭をさげながら「こんにちは」 そのまま1秒頭を下げ、あげる。「今日は挨拶の練習をしましょう。私は山本千夏です。よろしくお願いします。」 後「山本千夏と申します。どうぞよろしくお願いします。皆さん、ありがとうございました。(礼) 挨拶の練習でした。 顔は笑顔です。 簡単だが…そうでもない。 冒頭の「挨拶」ができない人が案外多い。
11月5日(木)曇り MRTが待望のFM放送になる!9月2日総務省の発表によると、MRTでは中波放送だが災害対策としてFMの予備免許がおりた。来春にも本放送がはじまる。周波数は90.4メガヘルツで放送される。音楽番組に朗報だ。MRTもFM放送になる!ただし放送内容は中波と同じである。だから二波もつことになる。音が格段に良くなりFMでステレオできける。音楽ファンにとっては朗報だ。海岸地帯に中継局を持つラジオ局にとって地震や津波はまさしく最大の脅威だ。AM局にとってFMは夢だったがそれが実現になったのは2011年の東日本大震災だった。災害対策の国策として各地のAM局にFM波をつかわせる、ことだった…と私は思う。東京のラジオ局ではワイドFMと呼んでいる。
10月26日(月)晴れ 朝顔を洗う。男だから髭をそる。この刃がいつも同じ角度で顔にあたる。もし反対の方からあてると刃の切れもいいのではないかな~と思って鏡を見た。いつもおなじではなく…反対の方からだと手の握りが違って調子がわるい。それを努力してやって見た。反対の方角からだ。すると刃の切れが大変よい!これまで使ってない刃を使ってから髭をそる。切れ味まで違う!なぜ同じ方角ばかり使っていたのだろう。手の握りのよさだけで使っていたが…反対にいままで使わなかった刃をつかってまるで新品の髭そりを楽しめるのだ!
10月24日(火)晴れ 写真をもとにしてDVDを作った。写真だから動かないけれどあたかも動くごとく感じる。南郷町の築島に行ったこと、串間の福島港からロケット打ち上げ場を近くに見ながら海がきれいだったこと…鵜戸神宮から新年のお参りに行ったことなど楽しい思い出をまとめて「海は友だち!」というDVDにした。普通、写真はそれが見おわるとアルバムにして終わりだがDVDにするとまた再現する。ビデオにして連続して見せる。字幕にしてBGMをつけると映画のようた。7分ぐらいで終わる。なかよしの友人と海で遊ぶ場面など一緒にまた楽しめる。何年か前だけれど一瞬にしてその中にはいっていける。映像の魔術だ。プライベートなシネマである。映画館と同じだ。
10月18日(日)快晴 小林市の朗読友の会がホームぺージを作った。さつそく由美子さんからそのお知らせが届いた。いろんな事が載っており読んでて楽しい!私からも「お知らせ」情報を入れた。すこしふるい話しになるが2002年の11月に「友の会の勉強会」で録音の実習をして録画した。声のボランティアとしてとっておいたが、最近DVDになり取り扱いが簡単になった。見るとなつかしい。
10月11日(日)晴れ テレビの司会者の仕事は、全体の雰囲気を笑顔の中で掴むこと、いうは簡単ですが実行はなかなかです。ワイドショーは生だから面白い。ずいぶんの人が動いている。「おくさま9:30」は川上アナ、中根さん、そして私、谷川典子さん。KCテレショプの上野さん、エレクトーンの皆さん、テレビカメラや照明係の人が動く。制作陣は倉迫さん、岩本さん、早朝出社で月~金のワイドである。玄関前中継は武中吾子ちゃんだった。放送局が橘通りに移動して初のワイドショーだった。
「アニメランド」 60回の公録に東京の人気声優をゲストに呼んだ。地方局のラジオ番組としては全国区で有名であった。番組のOP曲には重戦機エルガイムをつかった。リクエスト曲の音源がMRTにない場合はリスナーからレコードを募集したり、アニメの劇場版の音声を数週分に分割して流すというコーナーも存在した。アニメの曲はかならず完奏させる。途中でFOはしない。三カ月に一回声優を招いて行われる公録には「いってもらいたいセリフ!」「アテレコに挑戦!」などがありファンが熱狂する。えびの高原のお泊まりイベントでは半数が県外からだった。 これを美智代さんに送った。クラブの創立20周年記念誌などは会員以外は見ることがないのだ。「かけ足時代の思い出」を送って頂きありがとうございます。改めて樫元さんがいかに過去に活躍されていたかを知りました。樫元さんの活躍を私は少ししか知らなかったんだとも思いました。だって松坂慶子やいろんな著名と会われてるのに全然おごりも全くないので……「奥さま9:30」の番組は知っていましたが、樫元さんが出てらっしゃたのは知りませんでした。「かけ足時代の思い出」楽しく主人と読ませて頂きました。樫元さんとお知り合いになれた事は私にとって一生の宝物です。
10月10日(土)晴れのち曇り 季節のたより…Ⅱ こちらの秋祭りは宮崎神武様です。柏のお祭りは11月3日ですね。あの日は夕方は寒かったです。ビデオで撮影しましたが…月日の立つのは早いものです。私も右足がビデオをとるのに十分でなく撮影は残念ながらできません。しかしDVDにして年に一回の上映日は見るでしょう。 石蕗の 黄色い花の ふるさとや 石蕗(つわぶき)の黄色い花が、日当たりのよい山で咲いています。ふるさとを思い出します。
10月8日(木)晴れのち曇り 季節のたより 中学生の同級生に手紙を書いた。愛媛県内海村柏だが今は和歌山に住んでいる。中学まで一緒だつた。当時は中学を卒業すると地元ではあまり就職先がなくてほとんどが関西に就職した。繊維関係だった。16歳で親元をはなれ年に一回帰れるくらいの遠い就職先へ行く…親はさぞかし寂しかろうと今になって思う。今はパソコンがあるのでふるさとは近い。季節のたよりを書いた。こどもの頃すごしたふるさとの思い出がメインである。秋祭りのこと、ドローンを飛ばして空からみるとふるさとは変わってないようで、やはり変わっている所もある。しかしふるさとだ。手紙のはじめに書く季ことばについて…。朝寒の季節になりました。とか衣替えの…とかある。ヤフーで季語を調べてみると10月は、コスモス、石蕗、百舌鳥、梨、金柑、みかん、新米、稲刈り、栗ごはん、初紅葉、馬肥ゆる、行楽、体育の日、松茸、ばった、秋祭り、ハロウィーン、菊、林檎と出た。日本語はおもしろい。季節のかわりめに夏・秋・冬と季節の言葉がある。電話では情緒がない。
10月4日(日)晴れ 民放クラブ宮崎の創立20周年記念誌に私の文も載った。「かけ足時代の思い出」 昭和32年に小田不二夫アナウンサーがユァヒットパレードをはじめた。その頃「ラジオ宮崎」といった。洋楽のベストテン形式の番組は文化放送、南日本放送でもあった。「いまどんな歌がヒットしているか?これからどんな曲がヒットするか?」という歌い文句ではじまる。甘い声で人気があった。テレビ開局で「MRT宮崎放送」となり、小森アナが熊本に帰るため辞め、新人の私が「ユァヒットパレード」の後継となった。洋楽は好きだが番組の担当となるとちがう。一人しゃべりで50分、しかも洋楽のファンはなかなか詳しい。西村楽器店によく行ってはファンの気持をしらべた。ミュージック・ライフは月間誌だがこれを読み情報誌は少なかった。民放のラジオ局は宮崎ではMRTだけでよく聴かれていた。自分の好きな番組は初めて担当したユァヒットパレードだった。いまでも音楽ファンの中には「昔よく聴いていましたよ!」という声をきくことがある。これまでに私が担当した番組です。
・テレフォン・ナイト ・くらしのレーダー ・洋と潤子のあなたがえらぶ歌謡曲ベスト20 ・奥さま9:30 ・アニメランド ・二ュースワイド ・おやじバンド万歳!
テレビの番組はラジオと違って司会者の役割が大きい。今日のゲストは…司会者がそこをつかんで内容をひきだす。全体の雰囲気をつくる。テレビの司会はなれないとはじめは難しかった。(アナ歴、昭和39年~平成15年) 中高校で聞いていた洋楽のユァヒットパレードをまさか自分でDJするとは…喜びとおどろきの気持だった。うれしいのもつかの間にレコード室から新譜が届く、自分で聞いて新曲の紹介にかかる。忙しい毎日だった。小森アナから私に代ってビートルズが出現、日本に来た!フランス・ギャルとかシルビィ・ヴァルタンが有名でイギリスやフランスのアーテストが人気だった。アメリカからはシュープリームス、ベンチャーズ、ビ―チボーイズががんばっていた。
9月27日(日)曇り 中秋の名月は今夜だ。十五夜にはお月見団子のお供えものをします。ススキを飾りお酒を供えて月を眺めます。宮崎の地方では子供があっまってお菓子などをもらいます。佐土原ではこの日子供たちのお楽しみの日です。近所のお家を一軒一軒回って「十五夜で~す。十五夜くださ~い。」と言います。そうするとそれぞれのお家の方からお菓子やジュースをいただけるのです。面白い楽しい風習です。延岡の北川町でもあります。いつまでも残してほしいと思います。
9月24日(木)晴れ 写真はたいてい四角だ。普通のはそうだ。カドを丸くしたのがほしかった。特に女の子の写真はカドがまるいのがいい。コンピュータ時代だから…パソコンでなんとかなるかな?と思い探した。 あった!「写真」の次に「丸ぬき君」を出す。そこで見事に簡単に丸ぬき写真ができる。端々だけが丸でいい場合は、写真の次に「角を丸くする」でいい。そこで「パソコンから画像を読み込む」をだしていくとアッというまに角が丸い写真ができる。簡単だ。コスモスの絵を出し丸くしてみよう。
左が普通、右が丸。まるで違う写真のようだ。丸で出した方がものによっては効果的だ。
9月22日(火)晴れ 連休だ。本格的な連休だ。土耀日を入れると5日間。若い頃であれば北陸新幹線に乗って…どこかへ行っただろう。 さて「私のMRT」を聞いて感想を寄せてくれたもう一人を紹介する。 「樫元さんのお手製のDVD、ようやく拝見させて頂きました♪音質もクリアで、所々に画面が切り変わるので視覚的にも楽しめたDVDでした。番組内で楽しそうに制作の裏話や苦労話などの昔を語るトークに、私も一緒に楽しめました…
また、テレフォンナイト…。県外の私はこの番組は聴いた事がない訳で…。高知にはこんな音楽番組は無かったと思うのでとても興味深かったです。当たり前ですが樫元さんのお声がさらにお若いのにも驚きました…(笑) 貴重な録音を聴かせて頂いて感謝致します!」
9月18日(金)晴れ 「私のMRT」 聞きました。DVDで…懐かしい音楽と薗田さんの今よりちょっと若い声で始まりそれだけでも、ノスタルジーって感じです。そうそう、樫元さんの声も若いです。それから、やはり音源が放送局のモノだけあってとてもクリアーですね。また、要所要所で画像が変わりラジオの音声に実際の状況が映るので面白いです。特にゲストの衣装の描写を事細かに伝えているところなどラジオだなぁと感服しました。それと、アナウンサーの方々のお仕事は機転が効かないとできないなぁと感心しました。やはりいろいろな経験を積まれた結果なのだとは思いますが素晴らしいと思います。
日頃のスタジオ収録だけでも大変でしょうに公開録音のような視聴者とのやり取りにも気配りが必要でしかも皆さんが喜んでいらっしゃる。 私も含めて県民にとって、地元テレビ局のアナウンサーの方々は生活の一部になってしまっているとつくづく思いました。今日は懐かしさに浸ることができました。
9月17日(木)曇り 福岡から友達が来た。大阪で6ヶ月一緒に学んだ友だ。6年ぶりに合う。元気でいたことを喜んだ。私は途中で脳出血で倒れたが最近だいぶよくなった。もともと福岡で営業の仕事をして大阪や横浜の営業所に務め、勉強のため「話し方教室」の門をたたいた。日中は仕事をして夜間は週一回この時間だという。大阪にくるといろんな人がいる。インストラクター養成講座で、6ヶ月で終了する。この間いろいろないとを学んだ。主に人間関係を学んだ。いくら話しのテクニックがあっても人間関係がまずいと何にもならない。友にもいろいろあるが、60歳をすぎて学びの友はすくない。貴重だ。夜間に机を並べて半年間それなりの授業料をはらっての梅田校の学生だった。「やはり梅田は学ぶにはよい機会がある。」と言った。
福岡では似たような教室にも行ったがレべルの高さがちがう、という。営業で部長職でもある彼が夜、授業料を払ってまで勉強しようというものは何か?まえ開発中の製品の説明中のこと私語が隅であると説明をやめ、その私語がおわると説明をつづけた。しだいに私語はすくなくなった。その人は「話し方教室」の人だということであった。いらい話し方について興味をもち、勉強にきているのですよ、と言い、発音とか話しのまとめ方が勉強になります、と言った。私はアナを退職後地元で公民館で教えるだけの「話し方講座」をしたいと思っているけれど…皆それぞれに目標があって勉強にきているのだな、と思い熱くなった。
9月15日(火)晴れ DVD短編映画賞をつくろう…と考えた。 人生は走馬灯のごとし… 写真と思い出でふり返る自分の一生。あなたの活躍していた時代はどうだったの 青春時代~活躍時代~10年まえまではあなたも第一線で活躍していた…そんな自分を写真でふり返ります。DVDでは字幕で解説します。写真10枚あればいいです。わりと簡単にDVDが出来ます。そして自分の人生を褒めてやりましょう。DVD映画賞がそこにあります。映画賞はエライ人のためにあるのではありません。庶民のものです。友達と話しあって 「あの作品に金賞を!」そして表彰すればいい。友達と話しあうDVD映画賞です。 賞金はナシ 賞状だけです。それでいいじやないか…見本をつくります。
9月13日(日)晴れ CDをDVDで聞き見る。CDは聞くもので…見るとは? これまで5分程度の自主作品DVDが多かったが、一時間ものに挑戦した!内容は私が8年まえにラジオに出演した「私のMRT」。薗田潤子さんの番組で私がゲストで30分もので、懐かしい番組で録音テープがあればそれを聞きながら話す…というものだ。アニメランドとテレフォン・ナイトについてで30分+30分の一時間。会社で録音してCDにして保存していた。8年たってDVDにし写真を入れて見て面白いものにしようと考えた。パソコンの世界である。まずCDをDVDに入れ、絵はラジオの写真をいれた。これを60分間いれた。つぎにスーパーインポーズでタイトルとか出演者を入れる。アナのスタジオ写真ものせる。ゲストがユニークな格好であればその姿を写真でいれた。アナが1978年のザ・ベストテン頃の話題になればその当時の写真をいれた。CDの音声にDVDの写真が幅をもたせる。ラジオではない。テレビのようである。DVDで聞くスーパーCDの世界だ。ふつうCDといえば音響のみを考えるが今はそれがちがう。DVDに発展させると音の世界が驚くほど新鮮だ。「それは絵にならないから…」とテレビでは省略してしまうが、ラジオでは言葉でいう技巧がある。音の世界のこまやかさがある。
9月9日(水) 晴れ雨のち晴れ 世の中は電話という便利なものがある。メールという相手がいなくても電話以上に用件が伝わる文明の利器もある。でも葉書というものをわすれてはいないか?葉書に用件を書くだけではちとまずい。まず挨拶があって用件があってまた挨拶でおわる。これだけのことだが…最近は忙しいのか電話で済ます。電話なら用件のみでもよいからだ。私は葉書派だ。はじめに 「もう秋ですね、」の一言をいれる。一言でいい。挨拶は簡単なほうがいい。「用件」を書いて、最後に自分の気持ちを書いて終わる。余韻がほしければ 「では、また…」で終わるとよい。葉書も最近は写真やイラストが入る。パソコンを使うと自由自在だ。電話以上にこちらの気持が伝わる。文字だけでなく写真やイラストを入れよう。いまだと梨やクリのイラストもちいさくいれるとよい。子供の写真なら光択はがきだ。写真と同じで美しい。私なら懐かしい中学時代の写真で同級会のお知らせに使う、中三の学年写真など効果満点である。
9月5日(土) 晴れ 久しぶりに一男さんが来た。さつま芋をもって国富から、秋だなァと感じる頃だ。区長をしているので皆さんのお世話をする。区長というのは挨拶をしなければならない。そのためにどんなコトをすればいいのか?という悩みだった。話しのコッを教えてほしいと。 話しのコツ…①話しの長さは2分にする。それ以上話すと嫌われます。自分の名のりは2回する。たいてい1回だけだが話しの終わりにもう1度名乗って終わるようにする。話しの姿勢は3方向に7秒間づつ見て話す、ただし始めと終わりは15秒ほど正面を見て話す。手はやわやかく正面に組む… 話すことに夢中で姿勢などは~、だから、そのために用意を、話す準備をする。準備もせずぶっつけ本番では結果はしれている。用意も一度ではうまくいかないので何度か練習する。話材も3っ用意して最終的に面白いものを使う。10回ぐらい練習すればいいでしょう。と教えた。話しの内容は面白いこと、面白くないことはきいてる方もつまらない。くれぐれも2分ぐらいに終わらせること、3分は長すぎる。そのために分秒計があり料理用のを千円でナフコで売っている。練習だから見物客もいる。奥さんです。ただし話しの途中でアドバイスはダメ。話しが終わってからする。一男さんがんばって! 練習の先に光あり
9月3日 曇り 針灸にいった。友達のすすめである。すこし効果があった。針といえば危ないイメージがあるが友の云うには痛くないよ!灸もするがこれも熱くないよ、という…まえ他の病院に入院してあまりかわりがないので途中でぬけだして針にきたらなおったよ!という。その話しをきいて私も針灸をするきになった。東洋医学である。週に一回でかぞえて五日目にさっそく効果があらわれた。脳出血で右の手が不自由だったのがすこし良くなった。すこし良いのは本人にとっていればかなり良い。もう6年間もおなじ状況だからである。マリリン・モンローが日本に来た時指圧でなおした浪越徳治郎さんが有名。指圧の心は母心~東洋医学といっても馬鹿にできない。直れば針でも灸でも指圧でもいいわけだ…もうすこし通ってみよう。
8月24日 曇り 「韓国岳に登ったよ!」というビデオを作った。DVDだ。えびの高原に行き20人で韓国岳に登った。翌日は霧島で温泉にはいり御池で高千穂の峰を背景にみっちーを撮影して合計5分。スライド・シネマだ。写真でつくるビデオだ。見ていると欲が出て頂上で準備状況のためとっていた写真を入れたい。それと投げキッスを贈る場面で準備の一枚をいれる…なかなかいい場面なのだ。私はその写真が一枚きりというのはあまりない。たいてい予備に一枚は撮っている。DVDでその予備の写真もおもしろいから使おう。本番とスタンバイだ。二枚使うことにより笑いがとれる!平成21年に写真をとったがずっとそのままになっていた。DVDにすることによりあらたに登場する。仲間に配りたい。
8月23日 晴れ りんごを年に一回もらった。青森のりんごだった。私は宮崎なのでとてもうれしかった。スーパーに行くと買えるが、実際に木に付いているりんごは写真でしかみたことがない。暖かいところでは無理みたいだ。蜜がはいっている美味しいりんごだった。美空ひばりが少女の頃うたった「リンゴ追分」を思い出します。~リンゴの花びらが~お岩木山のてっぺんを 綿みてえな白い雲がポッカリポッカリとながれてゆき 早咲きのリンゴの花ッコが咲くころは…と絵のように唄った歌…東京放送が開局を記念してラジオ連続番組として「リンゴ園の少女」として昭和27年に放送したもので130万枚の売り上げを記録、松竹から映画化されました。この唄が思い出されます。私にリンゴをプレゼントをしてくれた人も故人となり、甘い思い出とリンゴの香りが残っています。
8月22日 晴れ 恩師の「再会物語」をDVDで今制作中です。スチールカメラでビデオに取り組んでいる。まさか再会をビデオにするとは思わなかったので動画はナシである。一枚の記念写真があるだけだった。あとは恩師の現在の趣味である絵と、家にいくとご主人との絵を背景に話しをしている姿とか、玄関で笑顔でいる写真が録れた。そして小学校のアルバムがありそれには懐かしい写真があった。大人たちの生徒のサインで「先生また会いましょう!」「厳しかったけど今思ってみると本当の愛情でした。」などコメントを書き込んで贈呈したものを合計すると7分ぐらいの絵ができた。さらに先生から「ありがとう!子供のころからお会いすると45歳の大人でもうびっくりしました。また会いましょうね!」と再会を約束してくれ礼状に気持ちをこめて書いてくれました。よしこの手紙をラストにつかおう!と構成がきまりました。再会の中心となった倫明さんがカメラや礼状の録音に働いてくれました。それといい場面では同じ長い場面にAのコメント、Bのコメントが十分につかえるな、という私なりの発見でした。
8月20日 晴れ 春美さん、といっても男性だが、彼の活動記録をDVDにしてあげようか…と思った。彼に云うと大のり気であった。中学の同窓会の写真や、熊本まで夕陽が綺麗だからといって車で奥さんと一緒に走ったこと、深年川で鮒を釣ったことなど家族のニュースの思い出ばかりが写真にあった。写真をひらくとそのまま家族のアルバムだが、一年中しまっておくのが普通。DVDはそれに光をあてて世に出してやろうとというものだ。DVDならそれが可能だ。家族や友達にあげることもできる。タイトルは「こりゃ大漁だ!」サブタイトルは「春美の日記より」…BGMも付く。EDIUS編集機が活躍する。解説はナレーションで入れるといいがなかなかなので文字でいれる。約5分の番組だ。絵は動かないけれど「マイ・シネマ」と私は呼んでいる。春美さんの家族にスポットをあてマイ・シネマはもうすぐ出来る。彼は言葉が不自由であり、聞き取りは奥さんの手紙による部分が大きかった。深年川の鮒つりや備前夢街道、伯父さんの話とか、ふつうの動画と違って過去にスポットライトをあてれば面白いものが出来そうだ。
8月16日 曇りのち雨 麻里子たちが広島へ帰った。ひさしぶりに雨になった。私はパソコンでディスクをつくったりEDIUS編集機で「尾瀬の風景」を作ったりするから家で閑をもてあますことはない。が…普通の人はどうしているだろう?70才を過ぎてパソコンは難しい…私も今日のようなパソコン社会になるとは思わなかった。きっかけはMRTの社内報の編集だった。手で作業していた作業からワープロになりパソコンになった。ここで若い人にまかせるか否かが分かれ目だった。局長なら若い人にまかせてもよかった。そんなこまかいことは年寄りにはできないよ、といえばいい。
しかし私は難しい事はとにかくやってみよう!との主義だった。若い人に聞き苦労のすえ社内報がパソコンでできた。きれいだった。写真も入れられた。パソコンはすごいな!との実感だった。パソコンの先生役だったパソナから来た「エクセル本部さん」何人かの若い人が先生役だった。ありがたい。九電のパソコン教室にも行った。若い人にすべて頼べば…パソコン・オンチで通用し、いまの私はいない。退社後しばらくして脳出血で倒れたが回復した。パソコンを自由に使える私である。このブログも清義さんの力で立ちあげた。感覚は若い人とレベルは同じである。
町の軽自動車として颯爽と走った三輪
8月14日 曇り 座っているだけで人に会える…とは信じがたいけど夢ではない。DVDだ。友達とこれまでに楽しいできごとをビデオで見るのだ。自分たちが出ている。ユニバーサルで皆でETアドベンチャーをみたり、ウォーターワールドの近未来の軽飛行機がつっこんでくるショーに思わず声をあげたりして大変おもしろい。8ミリビデオは回っていた。撮影はプロなみだ。奈良の若草山も大阪や京都の同級会でも回っていた。沖縄でも…ハワイでも…ビデオは回っていた。同級生との楽しい出来事はかならずビデオがあった。柏小学校四年のときに瀧岡先生に夏の夜見せてもらったふしぎな幻灯機のように、座って見ているだけで世界が変わる。同級生に合える。この世にはいなくなった友達が本当にそばで笑いあう!スイッチを押すだけでいい。大阪の道頓堀の同窓会は「柏中学の思い出」としてDVDにしょうと思っている。水芭蕉の尾瀬、熊野の旅も今回はDVDにした。行った人に配ろうと思う。思い出は宝だ! 通り過ぎていく思い出達よ…まぁ一服してハワイのワイキキの風景で一杯やろうではないか!
今夕は家族で庭でバーべキュー・パーティがあった。一郎くんがホストで麻里子や雅博さんと奥さんの厚子さん、娘のさゆりちゃん、それに近所の長沼さんでにぎやかだった。花火もした。写真も撮った。夜は庭で暑くもなく快適だった。一郎くんはパーティに慣れている様子で麻里子も肉をいれ手伝いをしていた。宮崎牛のモモとハラミのおいしい肉を焼き、タレは外村のタレをつかった。魚はさんまと鯖で塩加減はうすく美味しく焼いていた。野菜はキャベツにブタで焼きそばを作った。お握りは焦がさないように焼いて雑穀米の風味がよかった。みんなおいしかった。家族でたまに庭でバーべキュー・パーティもいいものだ。
8月13日 晴れ 夏休みの頃、小学校の頃は毎朝はやく起きてラジオ体操に行った。樫田の庭で皆が集まって6時半に体操をした。竹の丸い版を押してもらう。賑やかに蝉が鳴いている。午前中は勉強の時間である。「夏休みの友」をやらなくてはならない。いやいや勉強する。暑い夏だから日中はやすんで午後から夏休みだ。ラジオでは甲子園をやっている。水あびにいった。水泳というほど広い場所ではない。川の水を石でせきとめて水あそび場をつくる。水はつめたい。ふかじりとよばれる。そこで2時間ほどあそぶ。冷たい川の水で冷えた身体を大きい石の上であたためる。夏休みの楽しみだ。冷蔵庫も一般家庭にはない時代である。田舎道をときおりアイスキャンデーが売りに来る。それを買ってくれるのは手伝いでイモの草とりをしている時だ。百姓は子供もつらい。でも夏休みは大好きだった。カブトムシやクワガタがクヌギの木にいて捕まえる。クワガタのつよい格好は魅力的だった。昔、武士が戦闘の際に被った兜に似ている昆虫で男の子には昆虫採集の今も昔も一番である。 夏休みにまえ大洲の伯父の家に行ったことがある。小学校4~5年の頃だ。川あそびをしょうと言って肱川に行った。大洲の城の近くに家があった。子供がいなく伯父が舟をこいで遊んだ。その頃親戚すじから子供を育てのちに跡取りにしょうと思っていたらしい。弟の朗が候補に登っていたが母が反対しそのままになった。大洲の夏の川あそび事件?であった。後年伯父が松山に住み畜産局長までなったが、自分のこれまでをふりかえりなにか書くことがあったら、といってきた。便箋に4枚ほど書いて送ると、「おまえの文章はなかなかいいぞ…他の人にも頼んだが、文章のうまさは5人のうちにはいるぞ!」と、云った。当時ワープロが流行しはじめ簡単に文章の上手い、下手がみいだせるようになり自在になったことがその理由だろう。昔の人は紙に書きよくなければ消しゴムで消すという…めんどうな時代であった。
8月12日 曇り時々雨 広島から麻里子がきた。お盆である。時おり雨があったが墓地へ行きお爺ちゃんばあちゃんの墓参りをした。そして早速MDの点検をたのんだ。MDは便利な録音機であるが、脳出血になって以来もう6年ほど使ってない。最近また使おうとしたが肝心のソニーがMDの生産をやめてしまった。光デスクからSDカードの時代になりMDは古くなったという……8ミリとおなじでテープをやめてビデオカメラになりデジタルで保存はSDカードになり編集はパソコンでする時代になった。この5年間に大きく変わった。コンビュータの力はすごいものである。MDデッキはベルトが切れて使えなかった。私にとってはMDでアニメランドを録音していた。カセット時代もある。いまはすべてCDである。DVDの時代だ。ティアックがカセットとCDのコンビネーションを発売した。すこし値段は上だがMDからCDも発売した。一時代を築いたカセットテープ、MDのファンを見捨てないでほしいものだ。 8月9日 晴れ 登美子さんから暑中見舞いがきた。「私にとって思い出ふかいクルーザーと青い海のおはがきをありがとうございます。お元気そうで嬉しいです。「話し方教室」をぜひ続けて下さいね。」彼女と串間の海でキャンプして船上で夏の日を浴びながらクルージングしたことを思い出した。一緒にセイリングしたカタマラン艇が青い海に波間をきって進んでいた。6年ぐらい前のことだ…。
今日はDVDの盤面の作り方をパソコンで習い自分で作ってみた。盤面に写真をのせるのがちょっと難しかったがやればできた。字を載せて写真かイラストをのせればできあがりだ。「韓国岳に登ったよ!」と「上空はそよ風だ!」の二枚を仕上げた。盤面に写真が来るととても良い。つづいて「尾瀬の風景」も…グラデーションをかけて放射状に背景に散らせると効果的になる、ということがわかった。盤面にも面白さが出てくる。NCHソフトウェアーのラベルサービスである。アマチュアはこのサービスは特典ですよ、という…。早速DVDの盤づくりでやってみると写真の入れこみは簡単で綺麗に仕上がっていた。
8月8日 立秋 この暑いさなかに立秋とは…陽の勢いは変わらず暑いけれど… 横浜の逗子のまち子ちゃんは元気かなぁ、私と同い年の奉文君がいたけど…年賀状しか挨拶が来なくなってだいぶたつ。金沢文庫は1200年頃北条実時が称名寺をたて図書館を行った記録がある。それから文庫とよばれるようになった。青木のまち子ちゃんは叔母の子だ。ちいさい時から時々遊びにいった。四国から…横浜まで。まだ蒸気機関車の頃だ。文庫のそばは海岸で静かなところだった。高校生の頃いくとまち子ちゃんがいた。
開成高校に行っていた。それから年月がたった。わが家の子供たちと一緒にパチリである。私がTBSのザ・ベストテンに出たとき東京出張のおりに子供たちとともに文庫を訪れた。叔母ちゃんも叔父ちゃんも喜んでいる。奉文くんはカッコよくて若き俳優みたいだった。ときどき母はどうして四国の田舎にいったのだろうか?とおもう。実際に私が高校まで住んでみて田舎はイヤだとおもった。もうすこしましな、歯科医があり本屋があり空港のある町に住みたいとおもった。母は「ここに住まないで~おまえたちのすみたい町にすんで、かぁちゃんもそこにいくから…」と云った。私は宮崎にすんで佳かったと思った。きれいな海とひろい空、夜はしずかで……ふるさとは特に冬は夜も昼も風が吹いた。冬の風は寒い、柏は地形上風が年中吹くのだ。宮崎に来たとき夜は静かだ!と思った。あまりのしずけさで二三日気持がわるいくらいだった。
あのふるさとの強い風を「風力発電塔」にすれば…と考えた人がいる。実際に柏の山の頂上に地上80メートルの巨大な発電塔が三機たっている。まだ立つ計画だ。風を電力にすればいい!と考えたが、静かに回るとすればいいが低周波振動のブーンという音がして気にすれば静かな山あいに音がする。村人はおもしろくない。台風が直撃すれば被害があるかも、掻音は…なかなか考え通りにはいかない。地震・津波にそなえて高速道が村の高台に通る計画があり10年後に完成!という。静かな村は変わってゆく…
夜は照幸たち一家と友達の子供がきた。花火をした。私は家で見ていた。TVで「思い出のメロディー」があり松坂慶子さんの「愛の水中花」や高田みづえ、テレサ・テンの歌がながれた。
8月7日 晴れ曇り 盆踊りの日は雨で体育館で行ったことがあった。中央に太鼓と口説き人が陣取って、まわりを踊った。見物人には少し狭かったが踊る人の浴衣や衣装がよく見えてよかった。しかしすこし暗い方が浴衣で踊る人もいいのだ。ほのかな暗さで見ている方も声をかけやすい。「〇〇ちゃんきれいだよ~!」とやさしい声をかける。それを女の方もすこし期待している。イヤな男はイヤだが、内心気のある男からはその声がうれしい。 僕は飲み 貴女踊るは 盆まつり 利忠
8月6日 曇り メールは文章の交換だけと思っていたら、写真や絵もできることを知った。それ以来時々やっている。今日も夏祭りが近くなって…という文面に「盆踊り」のイラストをそえた。子供からお年寄りまで各地でおこなわれる盆踊。自分が若い時は「まつり宮崎」とか「えれこっちゃみやざき」に若い娘がでておもしろがったが、最近は昔ながらの盆踊りに関心が移った。
夏の夜おどる「盆踊り」はいいものだ。先祖の供養をかねて踊る。四国では平家踊りとか弁慶と牛若丸といった昔おどりと炭鉱節や最近のおどりやすい〇〇音頭といったものまである。もとは念仏講で広まり、先祖供養といっしょになり一遍上人が踊る宗教として大ブームとなり、法悦の尼僧らが踊ったことで各地に広まったといわれる。江戸時代は未婚の男女が近づくよい機会だとして夜明けまで踊ったという。満月の夜に行ったのもそうだ。 富山の越中おわら節は美しいおどりで有名。八尾の風の盆だ。編み笠を被った浴衣の女と、三味線に胡弓・太鼓の旋律にのせて踊る見事な手さばき腰さばきは圧巻で多くの見物客がよせかける。夏は盆踊りだ。
7月29日 晴れ 本格的に夏の日になった。市内でも36度を超えた。暑中見舞いのメールをかいた。それぞれの夏、中学校時代の友達は何をしているのかな?文字だけではちょっと寂しいので元気な写真を入れた。フローランテ宮崎にいったときの自分では「うーんこれはいいな!」と思った写真です。友達のカメラマンいや女性だからフォトグラファーと呼ばなくてはいけない。彼女がとった最後の写真にいいのがあった。それでいこう!ハガキのデザインはヨットを入れたのとコグマの熊さんが涼み台で涼んでいるのでいこうと決めた。フローランテでは彼女の写真もとった。大人の壮齢になると「もういいが…」と自分一人の写真をとることはしなくなる。いざ葬儀のときにまわりがあわてる。まあ葬儀のときだけでなくたまには撮っておこう。 7月30日 晴れ 文通の友、真理さんからだ。若い時にアニメランドのファンで公録に来た。それから約20年ぶりに情報を再開した。番組をもつ楽しみはそのときの楽しみがいつまでも続くことだ。特にアニメランドは特殊な番組だっただけに…。タウン宮崎の女性記者がその記事に熱心で宮崎に来た声優さんたちのことをいろいろ聞いた。神谷さん、野沢雅子さん、平野 文さん、田中真弓さんなど声優では超一流の人達であった。写真を一ページに載せるのに苦労したが、これはカラーでいきます!と云った。私は彼女もアニメファンだと思った。幼い頃アニメを見て育った子供時代を忘れてないのだ。キャンディキャンディやスイスのヨーデルは友達だった。
中村大樹さんと高山みなみさんの録音はCDで残っているのですがDVDであげましょう!草尾さんのCDも宮崎に来たときの写真などをいれてDVDで!ビデオ編集機があるのです。真理さんはきっと喜びます。耳もとで遼の「双炎斬!」と叫んだセリフを聞かされたみたいに! いつまでもこども心はいきています。メル友というしゃれた言い方はありますが日本語でもっといい言葉がある。文通の友。日本語はすばらしい。
7月31日 晴れ 夏の季語 甲子園、蝉、雷、入道雲、夏休み、ビアガーデン、西瓜、冷房、キャンプ場、海水浴、カキ氷、ヨット、手紙のなかにこの言葉がはいるだけで夏だ。 この暑さ 川水足りずに 困るなり 河童も 水浴び出来ずにおるや 啓輔。 連日の暑さである。さて今日はビデオ「先生お元気ですか!」の一部録り直しがあった。写真によるDVDである。学校のなかよしグループと先生いつまでも!の追加。40年ぶりの再会であり、万感つきぬものがある。ビデオならまたそれに会える。お礼の手紙の文面はもうすこし白くしたい。カメラのキタムラで現像するとそれが出来る。微調整はカメラ店にたのむことにする。
8月1日 曇り 朝から睦夫さんが庭の手入れに来た。夏草や…その季節だ。雑草を刈り取ったあとの庭はきれいになった。さっぱりした。睦夫さんありがとう!8月はよく青島へ行った。ウインドサーフィンを楽しむためだ。友達がいた。やはりWSFの仲間だ。冬も春も夏も秋も楽しんだ。マストやセール、ボードなど以外はあまりいらない。冬はウエットスーツを着る。冬は青島海岸も人がいなくなりWSFの仲間だけが海を独占していた。お昼ご飯は弁当で一日中楽しんだ。サーファーは朝のうちである。結構沖まで出た。一度青島から宮崎港まで一人でWSFをした。あれいつ来たの!いうから青島から来たよ。というとビックリしていた。ちょうど風がよく宮崎国際空港カントリークラブの沖に汐目があるがそれを通過してなんなく宮崎港についた。
ハワイに行った時、本場の海で乗ろうと思ってシューズだけ持って行った。あとはレンタルがある。海の色が違う。ほんもののコバルトブルーだ!楽しかった。
8月2日 晴れ 日高夫婦がきた。日曜日なので薬局も休みだ。続きを書く。夏の海は海水浴もありシーズンである。水着をきた若い女性もいる。ただしウィンドサーフィンは艇の長さがあるので海水浴客のそとで遊ぶ、モーターボートと一緒だ。約一ヶ月だ。そして9月になりシーズンが終わるとまたWSFの季節だ。トビウオが遊ぶ。考えてみると一年中WSFの季節だ。風を読み波を読み1キロぐらい沖で遊ぶ、海の青い色が海岸とは違う、宮崎は沖に黒潮が流れている。青島沖はいかにも南国の海だ。一時間セーリングしては岸にかえってくる。弁当は普通のもので賢くしばって艇のうしろにつけておきお腹がすいた時に食べる。流れてはいけないので漁網に繋ぐ…暑くなると横にした帆の上に体を投げ出してしばらく横になる。ブ―ムをもっていると浮かず沈まず安全である。身体は波の上にありまさしく天国だ。
8月3日 晴れ 理学療法士の博子さんから右腕から右足まで揉んでもらった。おとなしい人であるが会話は気の利いたことをいう。まだ20才ぐらいだ。現代版枕草子だ。3時から民放クラブの例会があった。8月はふつう休みだがクラブ創立20周年の出版がせまっておりあった。タイトルは~楽しかった!頑張った!失敗した!~完成した暁には記念パーテイをするという。憲幸さんが「なにを書かれましたか?ユアヒットバレードそれはいい!私がリスナーのころファンだったんですよ!」 加那江ちゃんの隣に座ったら明日の夜は無敵川柳がありますが…市の川柳大会の「予行練習」であるという。たかが川柳ごときに大げさな…私は自由句があるので川柳であり…「四角」とか「使う」とか題を決めてから川柳をつくるのはそれはないでしよう…明日はパスします。と言った。5時にかえったら大阪の三品先生から暑中見舞いの葉書が届いていた。なつかしい!上六話し方教室の先生だ。
大阪のマルビルホテルを常宿にして飛行機で通った半年間、よい内容だった。インストラクター養成講座、授業料以上の値打があった。あなたは人前で堂々と話せますか?あなたは人間関係で悩んでいませんか?あなたは人に好かれていますか?あなたはユーモアがありますか?あなたは誰とでも気楽に話せますか?あなたは人を説得する力はありますか?宮崎にかえってから公民館講座「話し方講座」を開いたが先生の口調まで似ていました。学ぶということはすばらしい。また来年5月から西センターで開講を予定している。
8月4日 晴れ 盆踊りの事を書いた。ナミちゃんという同級生へだ。
田舎の盆踊りだ。もう友達も少なくなった。みんな大阪方面へ働きにでてしまった。高校に進んだのは男では私だけだ。汽車もかよわぬ田舎の農村である。秋祭りとお盆はかえりたいと思う。それだけに同級生はなつかしい。写真は石づち山に夕陽がしずむころ太鼓と音頭につられて盆踊りがはじまる。孟宗竹の大きな15mぐらいなのに電気をつるし、その年に亡くなった人を供養して輪になって踊る。口説き歌にあわせて浴衣でおどる綺麗どころもいる。今年もまもなくである。
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