〇「話し方教室」6月は記念写真をとるのにカメラでなくビデオカメラで撮りました。雰囲気が違い、いいかもしれません。パチリがないので…自然です。 7月4日(水)は「こんな話しもありますよ!」と題してサラリーマン川柳のおもしろ話をとりあげます。シルバー川柳も面白い。テーマが決まっている話を語り手の技術で聴かせるもので、落語の世界です。みじかい小話からやってみよう。 それとその他です。

(例1) 「サラリーマン川柳」

 おじゃまします。宮崎市の◇◇◇◇です。ここで一席、笑顔の出るお話を披露します。 「サラリーマン川柳」です。第一生命が毎年発表しています。私はあれを見るのが楽しみです。入賞作品からご紹介します。携帯メール時代になってこんな句もあります。

◎ 「今かえる!」 妻から返信 「まだいいよ」

◎ 同窓会 出かけで見れば  敬老会

◎ 行き先を 告げず出かける  ネコと妻

川柳というのは、川風に揺れる柳と書きますが、私たちの生活もきびしいことがあっても、風に柳で、余裕で受け流して楽しく生きたいものです。 おあとがよろしいようで…

(例2) 「シルバー川柳」

おじゃまします。宮崎市の◇◇◇◇です。ここで一席、笑顔の出るお話を披露します。「シルバー川柳」です。シルバー川柳は全国有料老人ホームが11万通の中から選んだものです。なかなか身にしみる川柳です。

◎ 手をつなぐ 昔はデート  いま介護

◎ 名が出ない あれ、これ、それで用を足す

◎ あの世にも 女性いるのか  楽しみだ

川柳というのは、川風に揺れる柳と書きますが、私たちの生活もきびしいことがあっても、風に柳で、余裕で受け流して楽しく生きたいものです。 おあとがよろしいようで…  話の数えかたです。川柳では一句といいます。落語では一席といいます。

〇 「暑中見舞いの葉書」 7月か8月に「夏姿で」記念写真をとりましょう!とくに女性陣の皆さんへ、ゆかた姿でパチリと! ついでにうちわを持って…ビデオカメラで撮ります。 そんな記念写真が1枚あってもいい。それをうまくいけば暑中見舞いに使いましょう。 親しい人におくる一人写真も撮ります。素顔と笑顔の二枚とり、お客さまにさし上げるのはやはり笑顔です。

先日、K嬢にモデルになってもらって写真を撮った。はじめの絵はなんにも考えず座ってもらった。普通の絵、それからウチワをもたせで…光線のかげん、で座る位置をかえて撮った。だんだんよくなっていく。最後はきまりの絵だ。素顔と笑顔のふたとおり撮った。このようにすると本人もびっくりする写真になった。完成形の写真を載せよう。  カメラはニコンでなくソニーのビデオカメラなので状況の変化がわかる。そしてよいところでストップモーションして写真にする。ビデオカメラで連射だ。モニターがあるのでわかりやすい。三脚は絶対に必要!<笑顔と素顔のふたとおり撮ろう> 小道具はうちわ

   

◎ 三脚を使用する時の注意、カメラマンさんへ、カメラが傾かないのに画面がすこし傾いている場合は、三脚を点検しましょう。三脚のどれかを調節すれば水平にもどります。

 「話し方教室」自主教室の皆さん、6月6日ソニービデオカメラで写す。いま「話し方教室」のDVDを制作中です。それと「話し方新聞」も、しばらくお待ちください。

〇 「山吹の花は?」    河野ひろりん      春は桜の花がとても綺麗な季節です。ところで桜は何色、と聞かれたら皆さんは何色と答えられますか?じつは桜は桜色という名前があります。この桜色という色は山桜が満開に咲いた時のあわい色をいいます。 (ここで私語がさかんになり…スピーチをやめる。静かになってからまた話しはじめる。) 山桜の満開のあわいピンク色のことで、平安時代にとても愛された、という色です。古今和歌集にも登場しているそうです。私も是非読んでみたいと思いました。

 

つぎに山吹色、ときけば皆さんは何を想像されますか? そうです。山吹の花の黄色い色をあらわしています。昔の江戸奉行によくでてきたありがたい小判の色でもあります。 黄色といえばこんどは辛子色、おでんにつきももの「練り辛子」の色です。黄色に続いて「おうど色」もふくまれています。私はちいさい頃おうど色のクレヨンでラクダを描いたことがあります。 さくらの花が散ると、こんどは「もえぎ色」です。伝統の色ともいわれます。「うぐいす色」という色があったり青磁色もあります。青色ときけばみなさん空色という言葉が思い出されるでしょう。 「瑠璃色」それから「あい色」「群青色」という色もあります。赤色といえば「茜色」、「煉瓦色」「朱色」という言い方もあります。

私は色を日本語できると平安時代にタイムスリップしたような気分になります。私たちのまわりにはたくさんの色の言葉があふれています。皆さんは何色が好きですか?

「いなり寿司が大好き!」      永 楽太郎      好きな好物は実家の母がつくる稲荷が好きです。これがまた美味しいのです。高千穂ではまつりごとやお祝いにさかな寿司と稲荷ずしが出ます。私は厚い稲荷ずしが好きです。高千穂にある稲荷用の油揚げは皮がぶ厚くこんもりとしています。椎茸やイリコで味付けされた油揚げに、すこし甘めのす飯しがよく合います。母は私が帰るたびにそれを作ってくれました。高齢になり最近では体が不自由になりましたので、同居している弟の嫁が母の味を受け継いでいます。弟もまた稲荷が大好きですが、嫁の作る稲荷に50点とか60点と、なかなか高得点になりません。弟の嫁は私が稲荷が好きなのを知っていますので、帰るたびに作っており、いまではかなり腕を上げております。 ところでこの稲荷寿司の語源ごぞんじですか?あの稲荷神社にからむのですが、あの神社は米の神様がまっつてあります。キツネが神様のつかいとされています。これは稲を荒らすネズミをつかまえるキツネということで調法されています。そしてキツネの好物が油揚げということで稲荷神社にそなえることになったのです。形が長方形の稲荷ずし、これは米俵にちなむものです。三角形の稲荷寿司はキツネの耳をまねしてるということです。 皆さんありがとうございました。

「マラソンで桜鯛をもらう!」       国富一男      北浦マラソンに今年も参加しました。距離は10キロ、仲間四人です。コースはアップダウンです。国富の田舎に住んでおりますと練習場にはことかきません。坂道ばかりだからです。でも少しづつ距離を伸ばしていただかないと膝腰をいためます。北浦マラソンのすばらしいところは1・5キロ、両手をひろげて、このぐらいありましょうかね、桜鯛が貰えるんです!受付した時点でもらえますから、もう走らなくてもいいんですけれど…(笑)  コース途中には桜なみき、港、海が見えます。しかしとてもそんな余裕はありません。従弟も一緒に走ることになりましたが、農家なのでサラリーマンみたいに休みはないし走る習慣もなかったので大変だったようです。数日まえから膝が痛いと、当日もリタイアするかもしれんと不安げでした。 私は前半はおさえぎみに走り、折り返し地点からスピードアップしました。すると昨年より一分以上早い55分でゴールできました!しかし70歳以上の方が45分台で走られるんですよ!くやしいけどすごいですね! さてはじめて参加したイトコですが、とちゅう何回も歩いたそうですが、無事ゴールインできました。救護班のマイクロバスに何回も乗ろうとしたんですが、沿道で声援する観客、それとゴールできなかったら怖いのは奥さんになにをいうかわからん!という恐怖感でやっと完走したそうです。(笑) 終了後は友人たちと打ち上げ仲間12名が桜鯛の刺身に大いにもりあがりました!

「名物先生」    横山太郎     自分たちの中学のころは個性的な姿の先生がいました。中1のころは女の先生でとてもきびしかったです。ある日なにを考えたか廊下を走って競争することになりました。負けたくなかったので一生懸命です。そのとき図書館の壁にぶつかってドッと音がしました。中から担任の先生が出てきました。そして図書館のなかでみんなにビンタです。きびしい先生でした。 ほかにも校内を裸足で過ごす先生がいて夏も冬も関係なしです。その先生が30センチの竹の棒をいつももっていて生徒が校則違反をすると手の首あたりをたたくとピシと音がして痛かったです。たたくとき、いつも無表情でたたいて、つかみどころのない先生でした。 三年生のときには生徒指導の先生が行事があるたびに出てきて口すっぱくして言うんです。「だれも見ちょらんと思うな、自分が見ちょることじゃかい!」と毎回言われてそれをよく憶えています。中学時代の事を思い出すと変わった先生がいたことなど、おだやかな気持ちになってたのしくすごすことができます。


〇 女性はこの「話し方教室」に出演する楽しみが他にある。それは「衣装」だ。衣装といってもおおげさなものでなく、普段のものであるが…その衣装が自分に合っているかとうかを客観的に画面で確かめることが出来るということ、DVDの画面で確かめられることだ。1分30秒のあいだ自分の服をゆっくり自分の目で見ることができるわけだ。これは予想外の女性のたのしみである。 では3月のスピーチです。

〇 私の雛人形よ!    永 楽太郎        1昨年の9月待望の孫ができ私はおじいちゃんになりました。初孫は女の子です。親ばかならぬ父ばかです。自分の子供のひなまつりをした記憶はうすいのですが孫になると違います。 「質問です!」「質問ですねお名前をどうぞ」 「横山といいます。好きなプロ野球の球団はどこですか?」「巨人です!ただ今はスピーチの途中ですので詳しいことはおしまいにQ&Aのコーナーがありますので、詳しいことはその時また質問して下さい。」  孫は鹿児島に住んでいます。ちょうど1年前にひまなつりをしました。その時は生まれてまだ半年だったので孫はわけがわからないまま雛人形をバックに記念写真をとりました。孫の名前は花が咲くの咲で「咲きちゃん」といいます。ひな人形のそばにはその名前にちなんで「咲びな」と書かれた名札がついています。 先月孫のところに行きましたので 早速今年も雛まつりの準備をしました。今年は昨年とは違って動きまわりますので孫が眠っている間に人形を出して手の届かないところに飾りました。孫は目をさますと妻が抱いていました。そしてなんだか部屋の様子がちょつとかわったようすで…雛人形をゆびさしてアッと云って妻に教えました。これには妻もびっくりしてました。 孫はまだ言葉はしゃべれないのですが、たぶんこう言っていたと思います。「あれぇ~私が眠っているあいだに人形が飾ってある!しかも私の名前がついている!てげうれしい。おじいちゃんが飾ってくれたのだ!」 と言いたかったのに違いありません。私はこの子は天才だと思います(笑)。 さきほどのQ&Aの質問の方へ 「選手は誰が好きですか?」 巨人ではないんですが大谷選手です。

 

〇 はじめて聴いた洋楽のとりこ!     国富一男      学生の頃に聴いたビートルズには衝撃的でした。友達にプレイヤーとレコードをかりてすり減るほど聞いたものです。 「質問!」「お名前と質問をどうぞ、」「河野と申します。好きな食べ物はなんですか?」「バナナが大好きです。今スピーチの途中ですのでのちほどQ&Aのコーナーを設けておりますのでお話ししましょう。「はい」 ビートルズも聞ききましたけどMRTラジオの洋楽番組をよく聴きました。高校入学時にステレオプレィヤー、ステレオブレィヤーという言葉も今ではあまり聞きませんけど、こんなボックスがあって左右にスピーカー、センターにプレイヤーがあったんですけど、その当時そんなものがあるとこって少なかったと思います。レコードを買う機会がなかなか無かったものですから…アルバイトをしてようやく買ったのがスウェーデン出身のスプートニクスです。これは宮崎で公演がありまして私、いきました。初めてのライブです。市民会館でありまして、すごく少ない観客でありましたが、私の見た目では100人ぐらいじゃなかったかと思います。しかしすごく大きなエレキギターの音と迫力にはホントに感動しました! 就職して大阪に行きましたが、ベンチャーズ、この時メンバーの一人にサインを貰いました!ショッキングブルー、皆さんご知じありますか? その時明美さんと(今の妻と)一緒に行きました。 宮崎に帰るとなかなかアーチストの機会が少なく、中島みゆき、浜田省吾、佐野元春、そして妻の大好きな徳永英明に行きました。昨年は沖縄のライブハウスで喜納昌吉と一緒に写真を撮りました。 しかしいい思い出ばかりではありません。くやしい思い出がひとつあります。9年前にアリスのラストコンサートがありましたが、車の中でラジオを聞いてますと、「昨夜のアリスのコンサードはよかったねェ」というではありませんか! エーッ?明美さんに電話をして、チケットの日にち見て!というと「え~昨日じゃわ…」愕然としました! もう情けなくて数ヶ月は落ち込んでしまいました。その時のチケットがこれです。(胸のポケットから出す)8400円しています。価値があって15000円ぐらいしてるかもしれません!ご希望の方はあとで受け付けしますので……音楽は車の中、本を読むとき、花壇の草とりに、そして食事のときにお互いの好きな曲を流しながら会話を楽しんでおります。 さて冒頭に話したスプートニクス、この中にもう一人いった方がいらっしゃいます。樫元さんです!音楽のとりもつ縁ですね。

〇 卒業の言葉、泥棒でもいい日本一になれ!    横山太郎       3月になりました。気候もあたたかくなりました。桜の花ももうしばらくすると咲きはじめることでしょう。ちまたでは卒業の歌をききます。 「質問です!」「お名前をどうぞ、」「中須です。好きな球団はどこですか?」 中日ドラゴンズです。また質問があればQ&Aの時にどうぞ……仰げば尊し、海援隊の贈る言葉、卒業いっしょくでせまってくると思います。そこで卒業の時の思い出です。中学時代です。担任の先生がアニキみたいな存在で生徒からも慕われていました。年令は25才で音楽の先生で声がよくとおっていました厳しい面もありました。校則違反、提出物を忘れたりするとケツバットです!(笑) 今の時代では考えられないことでけど…すごく痛かったことを憶えています。 その先生とお別れの卒業式の時は今も憶えています。式典が終わり教室にかえりシーンと静まりかえった教室で先生のお話がありました。どんな仕事でも日本一になれ!泥棒でもなんでもいい、日本一になれ!とおっしゃっていました。その言葉は今でも憶えています。 この時期になるとその言葉を思い出します。遠い昔の思い出です。 質問の方は…「好きな歌手はどなたですか?」「長渕 剛です。」

〇 白酒を飲みながら~灯りを点けましょぼんぼりに~    河野ひろりん    桃の節句も過ぎてしまい、床の間に広がった雛段も今は箱の中です。箱の中に入っておりますけれど、いったい箱の中には何段あるかご存知でしょうか?そして飾った人形っていったい何体あったか覚えていますか?」 「質問です!好きな果物は何ですか?」「佐藤さんですね、好きな果物は今が旬のイチゴが大好きです!」今はスピーチの最中ですからこのあとにQ&Aの時間があります。その時に質問して下さい。「わかりました。」 ではスピーチに戻ります。雛段のかずを一緒にかぞえてみましょう。では一段目です。一段めはお内裏さま、天皇とお内裏さま、そして二段目はみなさんご存知の三人官女、三段目は五人ばやし、そして四段目は右大臣、左大臣、五段目は私も知らなかったのですが三人上戸という男の人形がいるということがわかりました。表情が一人は笑い冗語、一人は泣き冗語、そして怒り冗語といわれています。そして六段目は雛道具がかざられています。そして七段目には御所車、重箱、籠が並べられています。 そして人形の数は十五人、全部で十五人が七段に鎮座している、ことになります。 桃の節句はもうとっくに過ぎてしまい今は箱の中ですが、また来年になると七段が広がって床の間がとてもきらびやかになると思います。 私は桃の節句が大好きで、そして白酒をすこし飲みながら~灯りを点けましょぼんぼりに~という歌を聞くとまた小さい頃のおひなさまを思い出します。 「質問の続きは?」「好きな食べ物は何ですか?」「オムライスです。」

〇 作者紹介です。ペンネーム名、 ひとこと…

 

PN 永 楽太郎  初孫娘にお雛さまをプレゼントした。言葉もまだはっきり言えない年だけど、「私のおひなさま!お爺ちゃんありがとう!」というのがはっきりきこえました!孫は天才である!

PN 国富一男  アリスのコンサートに妻と一緒に行く予定だった。それがなんと気がつくと昨日だった!あんなに楽しみしていたのに、これがその涙のチケットです。

PN 横山太郎  中3の卒業式、最後のクラスでお別れの日、先生が言った。「なんでもいいから仕事で日本一をめざせ、泥棒でもいいから!」その言葉がわすれられない!

PN 河野ひろりん  ~灯りをつけましょ~ぼんぼりに~ お雛さまを見るとその風景を思い出します。15人あの雛だんにいるんです。日本の昔の風景は素敵です。

PN モルグル2号  お見合いの立ち会い人というボランティアを始めました。はじめは自分が緊張していましたが、なんとかうまくいってるのでは…と思います

PN ルル  今年はいぬ年です。わが家の愛犬は一匹はルルちゃんで昨年天国へ旅立ちました。娘のマリは夜空の月を眺めながら「ルルちゃんが月にいるね。」と云っています。    

〇 講師の樫元さんをかこんで皆でパチリ!

〇 4月4日(水)の「話し方教室」は私語があるときのスピーチ会場で静かにさせる方法について、学びます。結論は会場が無音になるまでスピーチしないことです。その練習をします。簡単すぎるけど…効果があります。 では2月のスピーチです。


〇 2月は恵方巻きとバレンタインの月だ、    河野ひろりん     暦の上ではすっかり春なのに毎日こごえるような寒さがつづいています。二月はイベントの月ともいわれております。2月3日は節分、わが家はいつの頃からか食卓に恵方巻きというものが鎮座するようになりました。 「質問!」「質問ですね!お名前をどうぞ!」「佐籐と申します。礼文島はどこにあるのですか?」 「礼文島は北海道にあります。いまスピーチの時間ですから簡単にお答えしておきます。後でQ&Aのコーナーで詳しくお答えします。ありがとうございました。 2月3日、恵方巻きの日なんですが、恵方巻きのことを調べてみました。恵方巻きというのは節分の日に恵方の方をむいて無言で食べる縁起もののまき寿司、ということがわかりました。今ではまき寿司のほかにロール巻やお菓子もいろいろと巻いてあります。 2月はまたバレンタインデーという大きなイベントの月です。もうすぐなんですけれども週末には多分女性のお客さんが特設コーナーに群がるんじゃないかと思います。これもまた調べてみました。チョコレートをたべるようになったのは昭和33年のそれもメリーチョコレートという会社が新宿の伊勢丹でバレンタイン・セールを始めたのがきっかけだそうです。それから学生のあいだに広まって主婦のあいだに広まって1980年代といわれています。ずいぶんの歴史がありますが、年々バージョンアップしていってチョコレートどころか他のものまで一緒にマーケテェグ・アップしていって大いに盛り上がっているところです。 いよいよ今年はオリンピックの月です。2月9日から冬季オリンピックが平昌で開かれます。寒さの厳しいなか私はアスリートにあたたかい拍手を送って声援をおくりたいと思います。

〇 野球が大好き、    永  楽太郎      1月もアッという間に終わり野球は春のキャンプに入っています。私はこう見えても野球少年でした。 「質問です!」「質問ですね、お名前をどうぞ、」「河野ともうします。サッカーはどこのチームが好きですか?」「川崎ヴェルディが好きです。」 ただいまはスピーチの時間ですので簡単に答えましたが、詳しいことはあとでQ&Aのコーナーがありますのでそこでお話します。それではスピーチに戻ります。 いま五十肩でボールも遠くへなげられませんが、ちいさい時からソフトボールが好きでした。小学校の時自分のグラブをもってませんので親にせがんで買ってもらったのを憶えています。その時の感激はいまでも忘れられません。中学校では野球部にはいりそのグラブを大切にあつかいました。わが子にも野球をおしえようとおもちゃのバットとボールで遊びました。長男が小学校にはいる頃その年のクリスマスになにをやろうかと妻と相談してグローブにしました。実はスポーツ店でバーゲンをしているのを知っていたのです。クリスマスの朝長男はフクロを見てがっかりしていました。自分が期待していたのと違っていたからです。本当はゲーム機がほしかったのです。その後長男は野球に興味を示さず剣道をしていますが、今でも、ボクはゲーム機がほしかったのにむりやりグローブをおしつけられた…と、 今年の1月長男の子供の餅ふみをしました。男の子です。孫の餅ふみをしたあと将来どんな職業につくかということで①そろばん ②えんぴつ ③バット ④ラッパ ⑤お金 これをならべて「最初に何をにぎるか?」やらせました。すると孫は、バットをにぎりました。 この時私は私のDNAは孫がうけついでいるな!と内心おもい感激しました!  さてQ&Aですが… 「どの選手が好きですか?」は、「今頑張っています三浦和良選手が好きです。」 永 楽太郎でした。  皆さんありがとうございました。

〇 お役所がはじめた結婚相談所、    モルグル2号     昨年からはじめたボランティアの話をします。 「質問!」「質問ですか?お名前をどうぞ!」「横山です。好きな食べ物は何ですか?」「好きな食べ物はシュークリームです。いまはスピーチの時間ですので最後にQ&Aをもうけていますので、その時に詳しくお答えします。スピーチに戻ります。  昨年からはじめたのは「宮崎結婚サポートセンター」といいます。いわゆる民間でいうところの結婚相談所みたいなものなんです。これを県が主催していて宮崎、延岡、日南の三か所の宮崎商工会議所がメインでやっているのです。そこで登録している男女がそれぞれ自己PRとか写真とかを出しているんですが、それで気にいった男女がはじめて「お見合い」をする時に立ち会いをする人を募集していて、それを友達からさそわれてはじめました。見合いする人は私もはじめてで、当日時間と場所と二人の名前だけは聞いていましたが、当日その場所にいってアッこの人とこの人がお見合いをするんだぁ~と 初めてあって、なるべくたのしく二人がすごせるようにする…とする、というのがお見合いサポーターというのが仕事なんです。けっこう重要なのです。 私はいろんな人とあって話すことが勉強だと思っているのでサポーターをうけたのですが、はじめは見合いをする人より私が緊張していて 「アーどうしょう、どうしょう~」と、でも私が暗い顔をしていては困るのでひたすらニコニコと「今日は天気がよくてよかったですね!」と言いながら「好きなものは何ですか?」といろいろ聞きながら二人がなごやかにすごせるようにして「じゃ、若いお二人でなかよくお過しください!」とその場をはなれる…のがサポータの役割なんです。 その後二人がどうなったか?は後日連絡がきます。 そのサポートセンターは2年間で25組がもう結婚されたという数字があがっています。サポーターは足りないので興味がある方は一緒にやりませんか! ではQ&Aです。質問は?「嫌いな食べ物は?」「ウニが嫌いです。」 はいありがとうございました。

〇 元旦の山登り、    国富一男       今日は元旦の山登りについてお話します。 昨年従弟から国富町の釈迦岳に登ろうという案内がありました。 「質問です!」「質問の方お名前をどうぞ」「田原と申します。好意をもっている女の方はどういう人ですか?」「そうですね~その質問に関しましてはQ&Aの時にお答えしましょう。」「はい」 スピーチにかえります。昨年の暮れに従弟から国富町の釈迦岳に登ろう!という誘いがありました。830メートルの山を6人で登ろうというプランで、その中には綾在中でエベレストを登頂した山下さんも一緒ですごくうれしかったです。ただし今年は従弟と二人だけでした。ニット帽、手袋、ヘッドランプを身につけリュックを背負い5時半にスタートしました!昨年に比べて今年は暖かくて五合目ではすっかり汗ばんできました。まっくらな中、登山道にヘッドランプの明りが幻想的ですごくよかったです。 途中で70歳から80歳のこえる人達のグループを追いこしましたが、この年になっても山登りができる体には本当に感心しました。昨年よりぺースが早くてもう苦しくなって、従弟に「オーイ、ちょっと休憩!…」という訴えすらあがりました。日頃走って鍛えてきたつもりですが、このときばかりは年を感じました。頂上てまえのダラダラつづく長い坂道があります。もう下をむいて膝に手をあてながら「なにくそ!なにくそ!」といいながら最後の力をふりしぼって到着しました。するとそこにはもう50名以上の方が記念撮影をしたり、日の出を待っている人達がいたんですけど従弟と二人すぐ下山しました。実は従弟は熊本に奥さんの実家に帰らないといけないというので即かえったのですが、その途中すごい光景を目にしました。2匹のワンちゃんをつれて山登りにこられた人に「イヌはだいじょうぶですか?」と声かけると「あまりつかれもみせず登ってきてます。」という答えで、従弟と二人で「ワンちゃんには筋肉痛はないっちゃろうかね?」と心配になりました。 駐車場につくと感動することがありました。寒い中ボランティアの方が甘いさつまイモをもって出迎えてくれたのです。もうこれには感激しました!今年もすばらしいたのしいことがたくさんありそうです! Q&Aです。「好きな芸能人は誰ですか?」「さっぱり芸能人はわかりません。」  国富一男でした。

〇 プロ野球のキャンプ始まる、     横山太郎       2月にはいり春のプロ野球のキャンプが始まりました。そこで日本一になったソフトバンクのキャンプに行きました。「質問です!」「質問ですか?お名前をどうぞ!」「中須と申します。好きな女優さんはどなたですか?」「吉永小百合です。質問の方はまたQ&Aのコーナーでお答えしますので…よろしいですか?」「はい」 駐車場にはたくさんの車がとまっており県外ナンバーもたくさんで大分、熊本、久留米、たくさんのフォークスファンが多かったです。生目の杜運動公園の道ぞいには屋台が30軒ほどあり、宮崎名物のチキン南蛮、地鶏、肉まき、おにぎりなどありました。観客席に座りしばらくすると白いユニフォームの福岡ソフトバンクの選手が入ってきました。選手はとても元気でまわりが明るくなりました。いまから練習がはじまります。その日はランニングと守備練習がありました。ベースをまわる時は声をかけ軽快な動きをしていました。守備練習では飛んできたボールをうまく処理してファーストに投げると観客からはウォーという声が上がっていました。球場全体がひとつになり皆で応援していました。その頑張る姿と元気な姿をみてこちらまで元気をもらいました。  まだキャンプの終了日までは時間があるのでもう一度いってみたいと思います。 質問はよろしいですか? 「ソフトバンクで好きな選手はどなたでしょう?」 「三番の松田ですね!」「はい」 皆さんありがとうございました。

〇 こどもの帰宅時間      快刀乱麻          わが家の近くにおばあちゃんがすんでいる。もう80歳をこえた。ちかごろもうろくの度がすすみ家の人と喧嘩の声がする。きいてみると四時ころになると家を出るという。 「おばあちゃん、何の用事もないんだから、どこにいくのかね?」おばあちゃんの返事がふるっている。 「子供の帰宅時間だから迎えにいくのよね!」「ウチは保育園に子供もいないのでおかしいよ!」「いや迎えにいく」となにをいってもわからない。たしかに四時すぎだ。おばあちゃんと喧嘩になる…そこで口で言ってもわからないのでパソコンで印刷した。 「今日はお泊り保育の日です。四時すきには帰宅しませんのでよろしくお願いします。担当の先生の名前と印鑑が押してある。「おばあちゃん、今日はお泊り保育だと…」迎えにいかなくていいよ。と見せると納得した。 おばあちゃんは母で子供を迎えに行く時間を憶えているのだ!母の気持ちは強い。それだけをおぼえているのだ。いまでも喧嘩しても家をでるというおばあちゃんの気持ちに心のなかでつよく感動した。

〇 なぜお辞儀をするか?お客がいるからだ。 それ以外に誰かいる? 主催者だ。公民館の館長だ。主催者がいて成り立つ催しなのだ。主催者に感謝の気持ちをこめてお辞儀をしょう。丁寧なほどお辞儀をしてよい。

〇 二月の「話し方教室」は「質問!」という声に答える、という設定で行いました。皆さんうまく処理していました。ああゆう突然のこともあるな…としやべり手が予想しておくと旨くいきます。 ①バレンタインの想い出、 ②プロ野球春のキャンプ  などでした。 スピーチをしている最中に客席から質問があり、それをうまく処理してまたスピーチに帰ります。「とりあえずお答えしておき、この時間の最後のところでQ&Aで詳しくお答えします。」…とする方法がよいでしょう。手はいつも結んでおくのをこの時はひらいて質問をした人を迎える姿勢がよい。

〇 三月は「質問」のあるときはの2回目です。テーマは①ひな祭りの思い出  ②転勤などで別れた人へ  ③インスタグラム   ④そのほか、です。  

○マネから入門しよう!いやああの人は○○さんのマネだよ…とすこし軽蔑したように言う。しかし考えてみるとマネができるというのはすごいことだ。舞踊、野球、なんでもマネからはいる。そして上達するのだ。上手な人のマネをしよう。   

〇ものごとは静と動で成り立っていますが、挨拶もそうです。まず挨拶のまえに、すぐ動くのではなく一瞬の静が必要です。それから頭を下げたあとにも一瞬の静止が必要です。…そして頭をあげる。そして一瞬の静のあと帰る。あわてて帰る人はいまませんか? この静と動が挨拶に加わるとあいさつが美しくなります。

□「アナログ的な年賀状」   モルグル2号       今日は私の楽しみにしている年賀状、それは昔からの友人から届く年賀状です。今はSNSというのが主流なんですけれども、やっぱり年に一回届く年賀状というのは私はすごく楽しみにしています。全然あわなくなってはいるんですけど年に一回とどく年賀状。このおかげで先月10人程度なんですけど同窓会をしました。それも私が知っているのは一人、友達が知っているのが一人という感じで、それぞれが年賀状でやりとりをしてて、唯一住所だけしってるという友達をそれそれが呼んで、それで10人ぐらい集まってもう卒業以来ですので30年ぶりに再会っていうことで、良かったです。とっても楽しかったので、いつも会える友もいいのですけれど、たまに会うこともとてもいいことだなって思いました。一年に一回のアナログ的な年賀状というものも大切にしたいと思っています。 年賀状のなかにも最近は印刷するのが主流ですよね、だけどなにか一言手書で書いてあるとうれしく思いませんか!私は極力手書きでメッセージを一言そえるのを心がえしています。だけど今年もまだ年賀状を買っただけでまだなんにもしていません。毎年、今年こそは!早くから書くぞっと心の準備はするのですが…なかなか…今年もアッというまにクリスマスがきてアッという間に年末がせまって…あぁ今年も同じパターンだなあと感じつつ…今年はなるべく早くします。

「夫婦円満の年賀状」      永 楽太郎         今年も残すところあとあとわずかになりました。この時期になっても年賀状の絵柄がきまかずいつもだすのが決まらずいつも遅くなってしまいます。皆さんはどうですか?年賀状の宛名はやはり筆字がいいですね。今はパソコンで宛名もきれいに印刷できますが、たまに直筆でとどく年賀状をみますと上手な人はうらやましく思います。芋字いいですね~あこがれます。ところで心に残る年賀状といいますと、県外に住んでいる姉からの年賀状を楽しみにしています。姉方は姉があて名や言葉を手書にして義理の兄が裏を版画にしています。版画は毎年ちがう花の絵柄で何枚かの板をつかって色刷りをしています。手間をかけて兄が作っています。たいへんだろうと思います。今年は元旦に届きませんでした。それで姉に尋ねますと、版画のできるのが遅くなってしまった。とのことでした。姉は版画ができるまでずっと催促しないでまっていた、よけいなことは言わないで兄の作るのを待ってた。夫婦円満の秘訣かもしれません。このように姉方の年賀状は長年ふたりで力をあわせて、ささえあってできている年賀状なんです。

     

「イヌ年の年賀状」      ルル         干支は戌年ですね、わが家にも名前はナナというトイフードルのわんちゃんがいます。今月で12才になるおばぁちゃん犬です。もう一匹ダックスフンドのルルちゃんがいたのですが、昨年天国へ旅立ちました。娘のまりが夜空の月をみながら「ルルちゃんが月にいるね。逢いたいね!」とよく言います。イヌ年にちなんで、来年の年賀状はルルとナナの写真をつかおうかな!と考えています。ちなみに私のペンネームはルルちゃんです。さて年賀状ですが、お正月、みなさんどんな年賀状が届くか楽しみですね!私がどんな年賀状が楽しみかといいますと20年まえまだ若かりし花の女子大生のころ、広島で家庭教師をしておりました。相手は小学生だったんですが、自閉症の症状をお持ちのお子さんで、そのお母さんからの年賀状がもう20年近くやりとりが続いています。お子さんの子供の頃の思い出や子育ての大変さとかや、卒業のころの作業所の様子とかを伝えてくれます。小学生だったこも成人して今は30歳をこえ立派な大人になっています。ずっと会っていないのでいつか会いたいなあと考えているところです。お母さんからの毎年の年賀状を見て私は初心にもどってまたあの頃の情熱とかフレッシュな気持ちに帰っていろんなことに頃に頑張っていきたいなと、とてもありがたい年賀状です。みなさま今年一年おせわになりました。

              

「一枚の年賀はがき」        ルピナス        年賀状といえばプリントごっこでした。夫も子供たちも使っておりました。そしてパソコンの時代になりました。夫は2週間から3週間かけで毎年年賀状を作りました。ある年からは細かい活字の文面の地味な年賀状にかわりました。転勤先が自然豊かな土地だったかもしれません。その年賀状にたいして「毎年たのしみにしております。」とか、その年賀状を話題にして話しをしてくださったり、七年前に亡くなった母も夫からの年賀状をまとめておき、なにかの時は読んでくれたのかな~といま思います。昨年12月26日に夫が他界しました。年があけまして年賀状が届きました。寒中見舞いで返事を出しましたが娘が宛名をすべて書いてくれました。一周忌を行いました。私は町でインクジェット式の年賀はがきを一枚買いました。夫がパソコンでしたように「この一年の自分のことを」書いてポストに入れないで夫にとどけてと願いました。ラブレターかなと思いますが…文章がいつのまにか出できました。和歌の時代だったら相聞歌かなとおもいます。


 

 

 

「若い人にはまけないぞ!」         国富一男         今日はフェイスブックについてです。始めたのは三年前、友人の影響です。その友人は80歳を過ぎていますが、10年まえからブログを始めています。いまは毎日です。自分の考えや趣味の絵画、つり、写真、パソコンについて熱く語ります。いくつになっても楽しい思いをされるのには自分でも感心します。私にはブログは難しいと思いフェイスブックにしました。最初はデジカメでとってパソコンで投稿してましたが、今はスマホを使っています。一番いいのは福岡にいる17歳と15歳の孫との接し方です。ちいさい時は孫はかわいいといいますが、しかし大きくなるとなかなか会うことも少なくなりました。今は二人とも留学していますので会う機会がありませんがフェイスブックを通じてコミュケーションをはかっています。語学力、表現力、写真、動画で成長が見られるのです。メッセージは時間を気にせずいつでもやりとりが出来るのが電話よりはるかにいいですね。それに孫たちの行った先の国々の名所旧跡、学校での友達との学校生活がよく見えます。今私はインスタグラムに投稿しています。その中で感じるのは若い人達の発言力、行動力、発想の豊かさに感激します。しかし私も負けずに自己成長のためにこれからも楽しみながら投稿したいと思います。

「年賀状はホノルルから~」          河野ひろりん        私の趣味は「ひとり旅」です。20年以上も前のことになりますが、当時私は名古屋に住んでおりました。新聞の切り抜きの記事で「浜名湖を一周してみませんか!」ツアーというのがありました。私は飛びつくようにすぐ申し込みました。一班7名のグループで構成されており、メンバー顔ぶれをみますと一人旅のつわものばかりでした。その7名のなかで私ははじめて60キロという浜名湖を一周できるのです。60キロと聞くとエーとばかり思うかもしれませんが、それが「ひとり旅」の仲間たちは話題が豊富です。もう旅の自慢話で持ちきりでした。休憩の途中ではお互いに足のマッサージをしたり、朝日にむかってバンザーイと記念写真をとりました。それがご縁で、いま20年になりますが、毎年のように年賀状が届きます。私は浜名湖が大好きですが、その後に礼文島一周ウォーキングにも参加しました。その後にはホノルルマラソンに出てしまったのです。そこでお友達になって年賀状がまだ届きます。年賀状を通じて私の心の旅は果てしなく続きます。         

「サッカーをした友へ、」       横山太郎         私の「心に残る年賀状」は親しかった友人との年賀状です。年賀状のやりとりは近況報告をかねてやってます。友人は高校を卒業して滋賀県に行き、会う機会はなくなりましたが年賀状のやりとりはつづいています。その友人も今では「お父さん」になり男の子が一人、女の子が一人います。そしてサッカーのコーチをしており草野球もしています。毎年送られてくる年賀状は家族の写真で、ほのぼのとした気持ちになります。これからも年賀状のやりとりは続きます。


「久しぶりの年賀状」       快刀乱麻                  年賀状の季節です。いつもかなり追いこまれて25日までに出さなくては…とあせるのです。 今年はフェイスブックの「友達を検索」情報のおかげで川越さんの住所がわかりました。趣味のウインドサーフィンを休みの日には楽しんでいました。今から20年まえのことです。 青島や野島、宮崎港でした。やはり海のスポーツですから一人では心ぼそく誰かWSFをしている人はいないかなあ…と思っていると、見かけたのが日に焼けた川越さんでした。すぐ友達になりました。川越さんはサーフィンもしていました。海についてはよく知っておりよき先輩でした。海のスポーツはまだする人も少なく、そのうち仲間がしだいに増えでいきました。冬に野島港の沖でWSFしていると季節風が吹き私は沖に流されてしまいました。川越さんは野島の漁船にのって助けにきてくれました。遭難の危機一髪でした。海のスポーツは面白いけれど危ないこともあります。10年くらい続け仕事がいそがしくなってやめました。 ときおりウィンドサーフィンのセールを見るといつも川越さんを思い出します。今年は年賀状を出せます。


〇 初めてブログを見ました!…「話し方教室」は月1度だけじゃない! ブログを見ながら考えたり励まされたりして練習して行ったら良いですね。 私のPNは、「ルピナス」 。宮崎の春を彩る花の名前です。

〇 西地区センターで「話し方講座」を受講していた千穂ちゃんからフェイスブックで手紙が来ていた。「先生のお名前を見てから思わずメッセージしました。現在私は先生の教えをフルに生かしてFM宮崎、サンシャインFMでパーソナリティをしています。しばらくご病気だったということで元気になって本当にうれしいです。」 話し方教室で元気よく頑張っていた千穂ちゃんのことをよく憶えている。また私は西地区センターで「話し方教室」を開いています。最近は私のブログ「ギターを持った渡り鳥最新版」 話し方教室スペシャルで受講生の「スピーチ」を紹介している。ネットなのでペンネームだが…結構面白い。千穂ちゃんも生徒になったつもりで読んでください。

〇これは「話し方教室」でスピーチをされた作品です。 11月1週「この味が1番!」 です。力作が揃いました。

    

「チーズ餅が1番!」     ルル             お正月ならではの味は、そうお雑煮です。新年の豊作や家内安全を祈って食べる縁起の良い食べものです。私は母の作るお雑煮が大好きで、正月お正月三ヶ日といわず毎日食べても飽きないほど好きです。どんな味かといいますと、鳥にく、椎茸、ごぼう、きざみ昆布、それに調味料を加えまして、ちよっとお醤油が効いたべース、の味に、スープに焼いたお餅とカマボコと三つ葉を入れまして、そして薄くスライスして刻んだ柚子をそれにあしらいまして、上品にいただきます。雑煮といえばお餅はかかせませんよね。わが家では毎年お餅を搗きます。白餅、あん餅、そしてわが家ならではのチーズ餅なるものを作ります。お餅にひときれのチーズを入れましてクルクルっとまるめて出来上がり、の簡単なものなんですが、これをフライパンでこんがり焼いて塩をふってするだけなんです。時には醤油をたらしてちょっと醤油あじにしてみたり、味をかえてみたり、あの、おいしい味にしてみたり…簡単だけど、おいしい「チーズ餅が1番!」です。

「私はオカラが1番!」     永 楽太郎         秋は実りの秋といわれ果物や穀物の収穫の時期です。そして魚ではサンマが美味しく、そのほか多くの食材がおいしいので食欲の秋でもあります。うまいものはうまい!たべものは美味しくいただくことは健康にいいのですが、腹八分でおさめることができず、いっも腹いっぱい食べるので太ってしまいます。最近またベルトの穴がひとつ外側になりました。ところで私の好きな食べものは…と言いますと、それはオカラです。皆さんご存知のとおりオカラは豆腐を作る時にできる大豆の粕です。私は味をつけて調理した「うの花」というオカラが大好物です。これをご飯にかけて食べるのですがオカラがあればおかずはいりません!ご飯にたっぷりかけてお湯をかけも、また美味しくいただけます。昔テレビの番組で「素浪人花山大吉」という時代劇がありました。主役の近衛十四郎のサムライはふだんはだらしないのですが、好物のオカラをたべると力を出して悪党をやっつけるという…オカラをたべると正義の味方に変身するという痛快物でした。私はオカラを食べても残念ながら変身できませんが… 私の好きなのはなんといってもオカラです!

     

「赤飯に挑戦!」      横山太郎              いろんな食べものを作ってきました。焼きめし、ハンバーグ、野菜炒めと、最初は料理の本を見なから格闘しながら一生懸命作ってきたのですが、何度か作っているうちになれてきて手ぎわ良くできるようになりました。こんど挑戦するのは赤飯です。11月に氏神様という横山家の先祖の神様を祀っていて、その当番が5年に1回まわってくるのですが、今年はわが家になっており、お赤飯をつくることになりました。赤飯のつくり方はインターネットで調べて大体憶えたんですが、材料はモチ米とあずきとあと胡麻塩だけで、難しくはないんですけど、小豆を煮るときに煮汁がすくなくて量がヒャヒャしました。炊飯器にモチ米とあずきの煮汁と水を三合いれてしばらくすると出来上がりました。炊飯器をあけるとアズキ色に染まった美しい色が出来ていました。試食をしたんですがおフクロさんに食べてもらうと「おいしいおいしい!」といって食べてくれ、自分もたべましたが食感はモチモチしておいしかったです。今からもいろいろな料理にチヤレンジしていきたいと思います。

          

「本物のカレーライス!」       国富一男              50年まえのことです。当時田舎では自給自足の生活でした。走るスーパーが週に一回きてましたが、干物、てんぷら、魚肉ソーセージがいいとこでした。皆さん信じられないでしょうね。高校を卒業して大阪に就職しました。そう「食い道楽」の大阪です。食べるものがすべて始めてのものばかりです。鳥のカラ揚げ、酢豚、はやしライス、にぎり寿し、もうたくさんあって…先輩からはじめて梅田の地下街につれて行ってもらいました。はいったのがカレー専門店、宮崎にはそんなものはありません。チキンカレー、ビーフカレー、インドカレー、たくさんのメニューがあることにも驚きました。カウンターでは十数名の人が食べておられましたが、食べるのが早いこと早いこと、しかし次から次につぎにお客さんが来るんですね。そとでは行列ができてました。毎週食べに行ってましたが、電車代のほうが高くついたような気がします。値段は70円ぐらいでした!もう香りがよくて色はすこし黒っぽくて辛くてすっごくおいしかった。アーっこれが本物のカレーだ!食べることには今も興味がありますが、作ることも楽しみです。なつかしいカレーの味を思いだします。

「秩父の三匹の猿」      ルピナス            夏の終わり頃に親戚の者たちと、埼玉県の山間部にあります秩父というところに行きました。観光スポットでもあります秩父神社に行きました。社殿で参拝をすませて、見上けましたら木の彫刻がありまして寅の親子が色あざやかに彫ってありました。そして東には鬼門になりますので青い龍が彫られていました。北には知恵の梟が、西には三匹のお猿さんが彫刻されていました。宮司さんのお話におりますと、400年ほど前に武田信玄が攻めて来まして秩父神社の社殿は焼き払われました。その後徳川家康が関東平野は、いま一級河川がながれていましてその源流が秩父にあり、その水源を守るために徳川家康は秩父神社を再建してくれたのではないかな、と言われています。その3匹のお猿さんまず目がしっかりと開いています。まずよく見ましょうと云うことなんですね。両耳がこうしっかり開いています。口は大きくひらいて、よく話しましょう、ということなんですね。皆さんアレっとおもいますよね、この彫刻が秩父神社には掲げられているんですね!日光東照宮の見ざる言わざる聞かざるはまったく反対です。私はそれを見たときすごく嬉しくなってアッこれから私はこれで行こう!なんでも見てやろう!よく聞いてやろう、調べてやろう、そしてお話もどんどんしやべってやろうと思って、そして徳川家康も秩父神社の三猿さんを多分みているのではないかな!と新発見をしまして、宮崎に帰ってこれからの人生は決意も新たに頑張ろうと思いました。

「公園デビュー」      モルグル2号            私は先週ついに公園デビューをしました。といっても子供をつれて遊びにいく公園デビューではなく、本当に人の前で話しをする講演をしました。と言っても15分ぐらいなんですけど、南九州短期大学で学生が120人ぐらいの前で話したんです。教室に入ってからずっと緊張して「あぁ、もう帰りたい…」と思いながら椅子にすわってまってました。私の番になりました。もう教室で習ったこと、先生にならったことを必死で思い出し、始めに7秒正面を向き、それからあっちむきこっち向き、そして自分の話しを聞いてくれそうなやさしい学生を見つけてはそっちをむいて話しました。あとは「みんな子供だ~」とひらきなおって話しをすることが出来ました。最初にしては65点ぐらいはいったんじゃないかな、って思ってます。原稿を書いてはいったんですけど、もうとにかくそれを見る余裕もなく、憶えていたのはいったんですが…話が前後しながら、まあまあ話しの筋は合っていたのでいいのかな~て思いました。ここで月に1回みなさんの前で話す練習をして度胸がついたのかな~って思ってます。

  

「夏休みの思い出」      河野ひろりん              昔にさかのぼると「絵日記、それから夏休みの友」それよりまえに私の一番の思い出といえはプール遊びです。私はまっ黒くなるまでプールに入って朝から晩まで浸かっててもいいくらいプールが大好きでした。水着を家から着て、そのうえにワンピースを着て、着替えるのも惜しいくらいすぐ飛び込みたいくらい私はプールが大好きでした。夏の日射しをあびてズラリと並んだカマボコの板、みなさん憶えていらっしやいますか?今もカマボコの板ってあるんでしょうか…私はそのカマボコの板をもってプールに行きます。プールサイドには監視役のPTAのお母さんが四人いました。四人ともそのカマボコの板の番をしていました。私は指がふやけるまで泳ぎまくりました。プールのない日は家族と一緒に宮交シティのプールに行って、またときにはフェニックスの流れるプールに行ってホントにまっ黒でした。ブルブル寒くなると暖かいおうどんを食べて、それがまた美味しくって、寒い時のおうどんは格別の味でした。毎回そのおうどんとブルブルのくり返しで私の夏は終ったようなものです。青い空、そして入道雲、小麦色の肌、そして陽にやけた水着の跡、私の少女時代の夏はこうして過ぎていきました。


♡またまた面白いスピーチがつづいた!  ・チーズ餅が1番というルルさん、はやくこいこいお正月だ~    ・素浪人花山大吉というおもしろ時代劇にでたサムライのむこうをはって「オカラ」が大好きという楽太郎さん、焼津の半次の軽快なやりとりが魅力でしたね。    ・赤飯に挑戦という太郎さん、氏神様もよろこぶでしょう!    ・梅田の地下街のカレー専門店で驚いた一男さん!さすが大阪ですね。その地下街に私もよく行きました!上六話し方教室がその近くにあったのです。  ・秩父の三匹の猿を見たルピナスさん、本物はコレですね。庶民はコレだ!     ・公園デヒューしたモルグル2号さん、いや講演デヒューでした!パチパチパチ!  ・夏休み…プールとブルブルと入道雲…ひろりんさんの少女時代の思い出です。  快刀乱麻

10月の「スピーチ」です。 姪のさやかの為に合格ハチマキを買った…。

「大宰府天満宮の梅の花」    横山太郎        2月の中頃、私は福岡に行きました。姪のさやかが今度高校受験なのでお守りを買うためです。大宰府天満宮につくと参道にたくさんの店が並んでおり、250メートルの間に90店舗ぐらいあり、観光客も数多くて賑わっていました。2月の中頃で境内に入ると梅の花がきれいに咲いていました。すこし寒かったのですが、梅の花も寒さにまけず頑張ってピンクの花びらを凛と咲いていました。しばらく歩くと朱色の橋があって太鼓橋といい神様がわたる橋といわれます。急勾配の橋をわたると心身が清められるといわれます。本殿に参拝をして合格ハチマキと合格鉛筆を買いました。姪っ子は無事高校を合格しました。ホっとしました。私もすこしは助けになったかな…と思います。

「貝殻ひろい」      ルル              今年の夏は家族で青島の海水浴に遊びに行きました。土曜日だったので混雑していました。砂浜に着いた途端、娘のまりが「わぁいー」と叫びました。色とりどりのパラソルが満開!早速この日のために購入した「青いクジラ」を引っ張って海へと一直線、時折せまりくる大小の波にキャッキャッといいながら楽しみました。子供はつかれしらずなので親が一緒についてまわるのはたいへんですが…自然を満喫しました。青島では今イベントをやっておりまして、それが青島ビーチパークです。すごくおしゃれな空間があります。飲食店やいろんなお店があります。ここは宮崎かな~と思うほどリゾート感覚です。 海水浴のあと、家族で弥生橋を渡りまして青島神社に行きました。鬼の洗濯岩を見ながら貝殻ひろいをして楽しみました。きれいな貝やヤドカリを集めました。海ひこ山幸さち彦の神話がのこっているところで、縁結び、安産、航海安全の神様が祀られています。サイクリング・コースが整備されており、日向灘を眺めながら潮かぜを全身にあびながら、今度はまりとゆっくりサイクリングを楽しみたいな、と考えています。

「母と東京スカイツリーへ」     モングル2号           今日は旅の思い出ということで、昨年母と二人で東京スカイツリーに行った時のお話をします。皆さんは東京スカイツリーに行ったことがありますか? ある人!二人いますね! できた頃ってものすごい人だったのをテレビで見てたので、もう少し落ち着いから行こうね、と母と話してたんです。それでもう五年も立つのでそろそろいいかなーと思って昨年行くことにしました。行った人の話によると、自分たちで行くよりもツァーで申し込んだ方が待たずにすんなり上のほうにあがれるよ、というので、東京にあまり知らないのでいろんな名所をまわれる「はとバスツァー」で申し込みました。本当にそう待たずに入れたのです。私達は東京をホントに知らないので「平日だしもう五年もたつから結構すいてるんじゃないの?」みたいな感じてのんびり行ったんですけど、そしたらロビーにはそれは大変大変すごい人で、ワーってびつくりして、だけど待たずに上のほうに上がれたんです。で上がれたらすごい景色がよくって母はもうお喜びであっちうろうろ、こっちうろうろ、でも私は高いところはちょっと苦手なので…もうたいてい見ると、あぁそうねぇ、そうねぇと、見たらもう降りたくってしかもすっごい高いので微妙にこう揺れるんです。立ってもファーと揺れる感じがして、しかも気分が悪くなって母に「はやくおりるよ!」といっておりようとするのですが… それに時間がかかるのです。下の階からおりるエレベータから降りるのですが、そこにいくまでが30分ぐらいかかるんですね、もうそれも何の景色も見えないところで、ただ時間をまってる状態ですこしづつ前にすすみエレベータにのり、やっと地上に着きホッとしました。私としては…母はもう「冥堵のみやげができた!」喜んでもういい、私も一回いけばいいかなと思い「もういかないね」とおもい帰った「スカイツリーの思い出」でした。

「ひとり旅の楽しさ」      河野ひろりん         私の趣味はひとり旅です。時間と使えるお金があったらすぐにjRの時刻表を買ってそこから私のひとり旅はもうすでに頭の中で始まっています。ひとり旅っていうと自由で気ままでいいよなぁと思いがちですがそれはどっこい、一人旅ほどこわいものはありません。私はひとり旅のために下調べを十分にして、そして使えるお金を十分にもって、たくわえをもっていくのが私のひとり旅です。そういいながも旅にはいいことも珍道中もたくさんあります。私は方向オンチなので、そのためにも下調べを十分にする必要があります。jRの乗り継ぎが私の大冒険の始まりです。乗り継ぎは数分間しかありません。その間に私は駅のアナウンスを身をのり出してききます。そして猛スピードでホームを目がけてかけあがってやっと目がけてやっと目的地をめざすことができます。こういったスリルの中にも楽しさがあり私らしい旅がとんどんつくられていきます。 旅先には人と会話をして楽しんだり、また朝市に出かけていっては採れたての野菜を食べたりお魚を食べたり、それは本物の味、格別です。 四国にいったらさぬきうどん、北海道にいけば夕張メロンをたらふく食べた思い出があります。私の旅は食べることばかりだけではなくって、北海道で雪かきをしたことがあります。南国そだちの私はとてもうれしくって雪屋根に登って時間をわすれてひたすら雪かきをしました。地元の人はあきれてビックリでした! 旅にはそうゆう思い出がたくさんあります。最後に私宛にハガキを書きます。旅からかえって自宅のポストを見るとその私あての葉書が届いています。そこには沢山のおもいでが詰まっています。 心の旅は今も続いています。

「読書の秋」       国富一男           もう秋ですね。皆さんは食欲の秋ですか!私は読書の秋です。本が大好きで今年の目標は120冊です。本が大好きになったのは小学校低学年のころでした。父に買ってもらった風の又三郎でした。中学や高校と図書室で読んでましたが高校のときに先生から「中須お前全校で一番本をよんでるな…」と云われビックリしました。社会人になりはじめて買った本が司馬遼太郎の「燃えよ剣」です。結婚すると文庫本になり松本清張、水上勉をよく読みました。子供ができるとこれが何故か古本がよいになりました。今は図書館で借りていますが、困った事があります。昔読んだ本をついつい選んじゃうことで…そこで2年まえから作家の五十音順に読むようにしました。すると若い人、女性の作家なんてのはなかなか読む機会がないんですね。むずかしいカタカナ言葉、文字、表現、でもこれが面白いんです。最初はとっつきにくいな、と思っても読んでるうちに時間をわすれて読んでしまう…もしもよかったら皆さん、一冊手にとってみてはいかがですか?これからの人生を楽しむために…

「夏休みの思い出」      永 楽太郎            皆さん、今日は!私はこう見えても上流家庭に育ちました。上流家庭といっても残念ながら川の上流です。県北は五ヶ瀬川の支流で延岡市に住んている人からはずっと上流の家になります。少年時代の夏休みの思い出はやはり川で水遊びをしたことです。当時学校にはプールはありませんでした。それで夏休みになると川に泳ぎに行くのが一番の楽しみでした。わが故郷の川は谷がふかくいわるV地谷といわれる川で、太陽のあたるのが非情に短いのです。太陽がまうえに当たるわずかな時間が川で泳ぐ時間になります。陽が当たるのがおそいので川の水も冷たく、しばらく泳ぐと岩場に上がって冷えきった体を温めてはまた泳ぐのです。川まで行きは下りたいから走っていきますが、帰りは坂道をふぅふういいながら帰っていたのですが…今思うと行きはよいよい帰りはつらいでした。子供の頃は元気でした。そして家に帰ると甘いカルピスを喜んで飲んでました。少年時代の夏休みのよき思い出でした。


「夏休みの思い出つくり」      国富一男          椎葉のキャンプ場に友人がいて行っていますが、いつもお酒を飲むパターンですが、私はランニングが趣味なので、今回は県境の水上村にある高地トレーニング場に行きました。一周2キロ、最高地点が970m、途中600mにわたるすごい登り坂、もう見た瞬間やめようかと思いましたが、もう息たえだえになりながらもゴールインしました。中学生、高校生、社会人それに50代のご夫婦、そんな中で私が最高齢者です。こんなことで私は喜びを感じます。翌朝はご飯をたべて市房ダム、白水の滝を見に行きました。遠くの山々を見ながらすごく高い吊り橋をちょっと怖いを渡って流れ落ちる滝に感動しました。秋にはちがう景色が見れそうなのでもう一度行きたいな、と思いました。「夏休み」の課題がなかったらこんな経験はできなかっただろうな…と先生にありがとうございます。私はなんにでも興味をもち、なんでも楽しく…をモットーにしています。のさんとかよだきい、ってことがあったら楽しい方法を考えます。すると不思議とアイデアが湧いてくるのです。こんな考えかたをしながらこれからの人生を楽しみたいとおもいます。

「由布院の人気の秘密」    快刀乱麻            今、九州で一番人気のある観光地は由布院とか黒川温泉です。先日、私は由布院に行ってみました。JR由布院駅を降りると、駅の横から観光バスではなく「観光馬車」がでる。観光バスじゃなくて「馬車」です。これに乗りました。ポックリ、ポックリと馬の「ひずめ」の音を響かせながらスタートしました。そのゆっくりしたスピードがとてもいい。ちいさい町ですから、しばらく行くとすぐ農村風景になりました。御者の兄ちゃんが手綱をとりながら由布院の説明をしてくれる。 「宮崎から来たのですか?ボクらが子供の頃は宮崎の観光は日本で一番でした。宮崎のバスガイドは映画にもなりました。その頃由布院はなんにもないとこでした。宮崎に追いつくためにはどうすればいいか? 消防のお金を借りてヨーロッパのある観光地へ出かけました。」 馬車ですから当然エンジンの音がない、ですから農村のしずかな空気が直接つたわってくる。なんかふるさとに帰ったような、気分になって、心が癒されました。 私がいちばん、印象に残ったのは、駅の構内にある「観光案内所」でした。そこにベテランの中年のご婦人が二人いて、きけば何でも親切に教えてくれる。どこにでもある観光案内所、最近は若い女性がスチュワーデスみたいな格好をして座っている。あれはダメです。若い女性は気がつかないし、親切心がない。その点中年の御婦人はなんでも教えてくれる。 旅は「心を癒すために」出かけるのです。そういう旅心がよくわかっているのが由布院だなあ、と思いました。

 

♡今回もまた面白かった。  ・天満宮梅の花と高校受験!みんな試練を通りぬけます。ファイト!    ・色とりどりのパラソルが満開の海水浴場、そして青島ビーチパーク、ここは宮崎かな~と思うほど夏はリゾートでした!親も子供も自然を満喫しましたね。     ・母と東京見物してスカイツリーに行ったモルグル2号さん、お母さんは「冥堵のみやげができた!」と喜ぶが自分は高所恐怖症で地上におりてホッとしているところ…お母さんおもいの娘さんがうかんできます。    ・「ひとり旅の楽しさ」は北海道の雪景色の中でスコップをふるう宮崎娘のたのしさが伝わってきました。最後に「心の旅は今も続いています。」と、にくい終りかたはさすがですね。  ・上流家庭に育った永さん、学校にまだプールがなかった頃ですね。  ・国富さん、若き新進女流作家の作品には驚くものがある!人生は60歳から、です。  ・夏休みの課題で高地マラソンに挑戦した!最高齢だった!    ・由布院の人気はなにか? 快刀乱麻さん、(…私です。) 宮崎を追い越そうと頑張った。「何度も訪れたくなる観光地」は何んだろう?観光バスではなく観光馬車であり手づくりの観光を楽しむことだった。自販機はあるが表に出さないようにしている。

DVDは絵や声を再現できるので便利だ。ただし個人用に使う場合は映像編集ソフトウェアがいる。私はグラスバレー社のビデオ編集機EDIUSを使う。なれないと初めはたいへんだが慣れると使いやすい。ビデオカメラでスピーチを録画する。そしてビデオ編集機で編集して完成する。 さらにそれを人数だけコピーして円盤にタイトルを入れて完成だ。そして郵送する。 しゃべったことをパソコンで活字化すると、自分がどんなふうにしゃべったか、わかり面白い。

 

さらにブログに載せていつでもスピーチを見えるようにすると便利です。私のブログ「ギターを持った渡り鳥最新版」の「話し方教室スペシャル」で早速みなさんの作品を載せました。スマホで見えます。ペンネームでOKです。顔写真は載せません。友達や家族に教えてあげましょう。

人に聴いてもらいたいと思って話すときは、たとえ自分のことであってもすなおに話すことが必要です。 とちったりエーツとつっかえたりは聞いている人に失礼です。 十分に練習してから話しましょう。それを「下読み」といいます。 下読みの習慣をつけましょう。ニュースアナはたとえ5分の原稿でも下読みは40分くらいかけます。人に聞いてもらう話だからです。音読です。声に出して読みます。目で読み10回読んでも練習になりません。 「話し方教室」でも、人のまえに出て1分30秒きいてもらうためには原稿を書き、十回くらいは「下読み」をします。  つっ込みという言葉があります。文字どおり文章の替えやつっ込みの原稿です。アナは「今はいりました二ュースですが…」といって結構上手に流れるように読みます。一本ぐらいはそれが出来ます。 他の原稿は十分下読みしているからです。 上手くなるまで下読みします。上手な人のマネをするのもいいものです。 おっとり刀で戦に出ていく人の成果はあまり期待できない。十分に準備しよう。