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〇失語症友の会メールマガジン、(会報) 令和5年2月後半号
〇テレビ番組「おくさま9:30」が放送された。といっても樫元が現役の頃です。昭和59年、MRTが下北方から繫華街に社屋を移転新築して新番組をスタートさせました。
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〇お相手は主婦の谷川典子さんでした。街の話題をすぐ取り上げてゲストと一緒に面白く広げます。生放送ですがラジオで鍛えた話術でやりました。私はアニメランドやベスト20もやりました。その頃のアナとスクーピィの皆さんです。ところで全員揃うのは難しくプロの写真屋の植村さんに来てもらい大型カメラで撮りました。川野アナや東さん、上岡さん、関さん、薗田さんが写っています。
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〇宮崎日日新聞に11月25日、樫元さんの事が掲載されました。「失語症、一人で悩まず相談して!」2009年に脳出血で倒れて右半身が麻 痺し、失語症になった樫元さんは「失語症友の会」を立ち上げ、経験談を伝えるメールマガジン発行やメールでの相談対応に乗り出している。樫元さんは「誰にも相談できず困っている患者や家族は多い。気軽に相談してほしい」と呼び掛けている。
〇みやざき総合美展がいま開かれています。県立美術館です。これに石川万佐子先生が絵画の部門で入選し話題となっています。先生は「若い人」木炭デッサンで素直な若い人が表現されています。1141点のなかから準特選に選ばれました。毎日多くの人が訪れています。26日まで開催されています。この総合美展は今年で3回目です。午前10時~午後5時半まで、観覧料は500円、あなたもぜひどうぞ!
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〇ラジオ番組を聞いて気になることがある。ラジオはいろんな人が聞いてる。年配の人も聞いてる。もっとゆっくりしゃべってもらいたいものだ。この番組は若い人向きに作っているから…と言うのはすこし自己便宜におもう。NHKの深夜便の森田美由紀さんのしゃべりはいい、いつ聞いても疲れがとれる。
〇こんにちは、皆様に読んで頂けて失語症の我われとって、とても忍耐力と時間のいる作業だと思います。私は独身のころ日本語教師だったので、樫元さんの辛さが分かるような気がします。私は本当に声が「あ~、う~」しか発することができませんでした。ショックで毎日病院で泣いていたのを思い出します。その時の言語聴覚士の先生(私より若かった)が、「みきさんは絶対に良くなる!」と呪文のように訓練したのを憶えています。
〇ワールド・ベースボウル・クラシックス(WBC)に出場するダルビッシュ選手が15日、日本代表合宿が17日から行れる宮崎空港に小型チャーター機で着陸し、黒の帽子と灰色のパーカーで横ずけされた車に乗り込んだ。初日は18000人ファンが詰めかけ、好プレーには大きな拍手が送られた。(宮日ニュースから)
〇メールマガジン希望の方はメールのあて先を書いて下さい。無料です。
〇4月11日、同級生たちで沖縄の旅に行きました。
〇恩納村のリザンシーパークホテルです。沖縄とは思えない素敵なホテルです。
〇まずは守礼の門、首里城の正門です。ここで女性たちは琉球衣装をきて記念写真を撮ります!孫にも衣装という言葉がありますが、昔の衣装をそろって着ると一段と綺麗になります。
〇この衣装で記念写真です。このとき一人2千円也!手にもっているのは琉球王朝の花笠です。すこし緊張せずに笑顔で!赤樫ヤヘちゃんがつい笑います。
〇王朝時代の舞い、花笠をつけて手に竹の音をさせながら踊ります。「四つ竹」舞い踊ります。
〇エイサー、奄美群島や沖縄で踊る伝統芸能で、手に小太鼓を持ち輪になって踊ります。祖先の霊を送迎するため若者たちが歌と囃子に合わせて踊る。家の無病息災を祈って力強く踊ります。
〇せっかく沖縄に来たのだから泳ぎます。とは言っても「還暦」ではネ、しかし還暦の私たちでも「沖縄の海で」泳ぎました。
〇この年で泳げるとは…びっくりです!ヤヘちゃん、文ちゃん、カっちゃん、中学生にもどったみたい!水着を持ってきて良かったわ!沖縄の海は塩からかったね!
〇翌朝の朝ごはんです。納豆をかけていただきます。おいしかったね!
〇私は四人の娘たちに囲まれて嬉しそうです。
〇ここは「平和の礎」です。先の大戦で亡くなった20数万人の慰霊地が祭られています。
〇末広モト子さんの父も沖縄戦で亡くなりました。父の慶一さんの名前が書かれています。はじめて父と会うモっちゃんです。沖縄に来たかったのは父のもとで墓参りをしたかったのです。
〇お父さん!モト子です!今日は皆と一緒に沖縄に来ました。お父さんの亡きあと柏にいる末広の親戚が私たちの姉妹を育てくれました。 ありがとう!と呼びかけました。
〇悲惨な戦争をくり返してはならない。沖縄の青い海は静かに答えているように思いました。
〇そしてサンゴ礁を背景にモっちゃんの笑顔は…お父さんがそばにいるように感じました。
〇「顔写真」 最近はスマホ で自撮り棒で撮る人もあるが、昔は大変だった。友達にカメラをもってもらいスタジオで撮った。やはり放送局らしい背景の写真がよかった。写真屋で一度ネガにおこしていいものを写真にした。手間がいったがそれが普通であった。それがデジタル・カメラになって一変した。カンタンになった!私もパソコンにいれている写真から「最後の一枚」を探し出した。最後の一枚とは葬式の時に使う写真である。
慌ただしいなかで一枚の写真を選び葬式用に使う。本人は死んでるので…なんども言えない。その一枚の写真のことである。できれば「本人が納得する写真を」使ってもらいたい。それには80歳を過ぎたときに「葬式用の写真」はコレだ、と肉親に伝えておくことが必要だ。そしてなにかの時にはあわてずそれを使う、本人はこの写真を皆さんの最後の顔として「さようなら!」と、言いますよ、と納得して旅に出ることができるだろうと、言える。
さてその一枚の写真だが、写真が趣味の私だが、なかなかない。こんな趣味の写真でかえって長生きするかもしれない。
〇「ナレーション原稿です。」 「日本のチカラ・生きがい」 障害者支援の現場から、テレビ朝日制作 民教協 取材協力、 毎土曜朝6時~6時30分、
〇大分県別府市にある、農協共済別府リハビリテーションです。ここでは病気や事故で脳に損傷を負い後遺症のある人が、自立した生活を送れるよう、さまざまな訓練を行うリハビリテーション施設です。
〇和田大輔さん46歳は、38歳の脳出血を発症、右片まひと失語症の障害があります。発症後しばらくは自分が社会復帰するのは無理だと思っていました。
〇しかし施設内の「障害者支援施設にじ」では、日常生活のリハーサルの場として、働きながら掃除や洗濯など身の回りのことは利用者自身で行っています。
〇「就労移行支援」というプログラム。車の運転もします。片手で方向指示器を上手に扱い行います。事務作業8割、メッセンジャー業務2割というのが業務の割合です。
〇ユニークなのが水中リハビリです。温泉地ならです。
〇農作業の手伝いも行います。障害者福祉サービス課の安藤さんは「自分の力で役にたつ仕事を」している、ということが大きいです。と言います。
〇「ナレーション原稿です。」 同級生の旅 ナレーションをしてみよう、
・4月14日、柏中の同級生たちが大阪ユニバーサル・スタジオを訪れました。
・このテーマパークはハリウッド映画の舞台を中心にした大人も子供も楽しめる一大遊園地です。
・昨年、同級生で東京ディズニーランドに行き、今年は希望者でここ大阪のユニバーサル・スタジオ、明日は奈良の観光を楽しもうというプランです。
・では園内に入りましょう、・大きな映画のスタジオが並んでいます。
・柏の中学校を卒業し就職列車で大阪にやって来た。その頃日本は高度経済期で中学を卒業し就職した子は「金の卵」と呼ばれた。
〇昔の8ミリビデオが出て来たぞ! いまはもう8ミリとは言わない。普通にビデオカメラといいますが、私はすこし前の8ミリカメラのこと、現在は姿を消した8ミリのこと、随分これを使った!子供の記録とか旅の記録にこの8ミリビデオカメラを持ち歩いた。10年ぐらい前から普通のビデオカメラに代りパソコンで編集できるようになった。子供も大きくなり記録の価値は消えた。しかし子供の頃の記録は8ミリビデオカメラに残っている。現在は姿を消した8ミリビデオの中に…残念ながら8ミリビデオはいまは市場になく中古市場にかろうじてある。ところが私は昔の8ミリビデオを持っているのだ。ケースに入れて保存していた。これを使えば昔の風景が再現される。ラッキーだ!
〇あけましておめでとう!失語症友の会の皆さん!祇園ディサービスの皆さん、ケアフル宮崎の皆さん!今年も楽しくいきましょう!そしてMRTラジオで楽しかったことなどを思い出します! ユアヒットパレードで宮崎市民会館のコンサートに行ってスプートニクスやベンチャーズのライブにビックリしたこと、電リク・テレフォンナイトで「ラジオのDJが楽しいな」と思ったこと、「洋と潤子のあなたが選ぶ歌謡曲ベスト20」でザ・ベストテンと同期して市民会館にいろんな歌手に取材であったことなどが楽しかったです。ピンクレディにインタビューした薗田潤子アナ、荒井(松任谷)由美さんや沢田研二さん、隣の鹿児島の長渕 剛さん、宮崎の二人がいるサザンオールスターズや俊ちゃん田原俊彦さん、青島から夜の中継で早見 優ちゃんゲスト、歌は夏色のナンシーなど今思ってみればザ・ベストテンの追っかけマンをフルに活用してスターにインタビューしたことでした。
江尻圭子アナとラジオで星占い「愛のホロスコープ」をしました。女の子は占いが好きなのです。そしてアニメランド! 多くの声優さんを宮崎に呼び宮交シティやサンリブ5階、寿屋百貨店屋上、旭サービス本店屋上、まつり宮崎ヤングステージ、西都市のパオ広場、都城大丸、母智丘の桜まつり、えびの高原ホテルのアニメジャンボリーなどで満員のファンを前に公開録音をしました。声優の実力の幅広さに驚いたことや、野沢雅子さん、山寺宏一さん、神谷 明さんなど第一線の声優さん来ていただきました。「アテレコに挑戦!」のコーナーでは声優さんと地元宮崎のファンと一緒になってもり上がりました。「めだとう精神ナンバーワン!」ではアニメファンの男の子が上半身裸になったりする子もありました。テレビでは「奥さま9:30分」やニュースワイドで生放送をしたことなどがあげられます。
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〇(思い出) 成宮アキちゃんという男の友達がいた。小学校2年の頃だ。私はよくアキちゃんの家に遊びにいった。農家といってもあまり豊な生活でなく、お父さんは出稼ぎによくいった。アキちゃんのすぐ裏には森があり、そこでチャンバラごっこをしたり気の合う友達だった。ところがある日のこと家には誰もいなくなった。子供同士なので「なぜ」出ていくのかわからずに…後に聞くと「東京の福生というところでブロック積みの仕事があるので」その仕事をする、ということだった。村の仕事もないようなので思い切って出てゆく、ということだった。アキちゃんのことはそれっきり便りもない。私はどうしているか心配だったが…今も連絡はない。私はアキちゃんが成功してまた会えると信じている。その日が来ることを待っているが連絡はまだない。アキちゃんは今どうしているだろうか?
〇米国のワシントンからの年賀ハガキが来た。米国の年賀状は「お年玉」はナシであるが、TBSの特派員の皆さんが写った素顔の写真です。すぐ飛び出せるように待機の構えです。電話一本でホワイトハウスに向かう!少数精鋭である。照幸君は支局長だ。
〇ワシントン支局からの年賀状、カメラのまえで特派員やスタッフの皆さんが撮影をしている風景には思わず笑ってしまいました(笑)、照幸がタイム係です。いつもは逆です。電話一本でホワイトハウスに向かう支局員の緊張をよくあらわしています。電話の内容によっては翌日の新聞のトップを飾るニュースです。ゼレンスキー氏みたいに、だから思わず笑ってしまう「年賀状」でした。
〇一人で遊べるものとしては小女雑誌の付録によくついていた「ぬりえ」がある。この絵柄で昔にタイムスリップする女性は多いだろう…。これも色をぬり終わったら友達と「見せあいっこ」をしたりして楽しんだ。この「ぬりえ」は当時大流行した。色をぬり易いように顔、手、足などの面積は大きめにデフォルメ(強調)されていた。髪型はカールした洋風が多がったが衣装は和/洋なんでもあり。生活場面はハイカラ(これも死語だが)な設定が多かったように思う。人物だけでなく、背景のタンスや鏡台なども色をぬった。代表的なのが「蔦谷きいちのぬりえ」で、「お絵かき」の素材ながらその芸術性が近年見直され、各地で美術展の開催やコマーシャル素材として登場するなど再評価され、熱烈なファンも多い。
〇12月25日、知事選挙は開票された。組織戦を展開した河野俊嗣さんが勝ち、東国原英夫さんは涙を飲んだ。あと一歩だった。薄氷の戦いだった。今後はまだ白紙だといったが、半数の人が「宮崎はこのままではいかん」と思った。発信力は健在である。また昔の宮崎にもどったかのようであるが、新しい宮崎の芽はどうなるのか?今後に期待しよう。
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〇アメリカから12月22日中継があった。ワシントン支局の樫元照幸が中継した。この日はウクライナのゼレンスキー大統領と米国大統領ハイデン氏が会見するのだ、電撃訪問!さらに米国の議会にゆき演説をした。2分間も拍手の波で演説が出来なかった!世界の目が注目している中継である。
ゼレンスキー氏はアメリカ空軍の飛行機に乗ってホワイトハウスに到着した!ワシントン支局の樫元照幸が中継、頑張れTBSの照幸君、宮崎西高出身だ。
〇こんにちは!神谷さんから今年もお歳暮が届きました!(樫元) 凄い!神谷 明さんからお歳暮が届く人って、少ないと思いますヨ、ちょうど樫元家に見えてた方はスマホで撮ってラッキーですね。(乙女より)、 さすが樫元さん!神谷さんからお歳暮がくるなんて!写真に写っていた紅まどんなという蜜柑は、まだ食べた事がないのですが美味しそうですね、今度食べてみます。今でもアニメランドのファン、 神谷さんとは20年来のおつきあいとはすばらしいですね。(男性)、声優の神谷 明さんも知っているんですか。凄いですね。(都城の大牟田さん)
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〇お客様へ、ファミリーレストランから注文です。 注文した料理の脇に、その紙片は置かれていました。お子さまランチに子どもたちが大喜びする中、気づいた夫は一読して何も言わず妻へ渡します。「子供は汚す事の名人です」で始まる8行で文章。「今日は𠮟らないでください」「後片付けもしないでください」「せめて今日だけは何も気にしないでゆっくり食事をしてください」というレストランからのメッセージが記されていました。
〇今年もやって来たお歳暮のシーズン!神谷さんからだ。と言ってもわかりづらいから神谷さん、声優界の大御所・神谷 明さんからです。シティハンターやキン肉マンでおなじみの声優さんです。ちょうどわが家に遊びに来ていたB君が「なんと神谷さんからのお歳暮だ!と驚き、スマホで撮ってもいいですか!友達に自慢しょう!」と言いました。 「紅まどんな」は「坊ちゃん」に登場するマドンナのようにうるわしい愛媛の女性を思わせるおいしい蜜柑です。ギフトに最適です。アニメランドによくゲストに来てくれた神谷さんから毎年お歳暮がきます。ゲストといっても20年まえの公録のお礼なのです。ありがとう!
〇失語症友の会の主宰をしている樫元です。メールでは自由に話せます。言葉はうまく出ませんけど…失語症友の会で悩む人は全国で約30万人と言われています。脳出血の後遺症です。脳障害とは脳や脊髄などの重要などの神経に傷を負った人や脳卒中などで言葉がうまく出ない人が失語症になります。今では簡単な計算ができない事もあります。言語障害の人はわかりづかいから諦めてしまうことも多いのです。むかしは私もアナで活躍しましたが…今は息子の照幸がTBS特派員でワシントンから活躍しています。(ひるおび!―ワシントン中継)
〇ナイアガラの滝を見に行ったことがあります。大きくて雷鳴のようでした。飛行機でバンクーバーからトロントに行き14時間かけてアメリカ大陸横断の旅でした。カナダと米国の境にあるナイアガラはもう雪景色でした。オンザレイクの町はすっかりクリスマスの飾りが家々に飾り付けられていました。そしてレストランには巨大なロブスターにはビックリ!味は醬油がなかったので今いち、でもびっくりしました。下はロブスターと記念写真です。ロブスターとはザリガニの食用になる伊勢えびでアメリカ産で巨大なものをロブスターと呼んでいる。
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〇宮崎県知事選(25日投開票)が8日告示され、現職の河野俊嗣氏(58)、政治評論家で元知事の東国原英夫氏(65)、スーパークレイジー君(36)の3人が立候補した。東国原フィーバーを巻き起こした2007年の熱気を取り戻せるか?河野氏は総務省出身の官僚とあって、国とのパイプの太さを強調し、4期目の長期目を伺う。しかし、この間、景気低迷、新型コロナ禍と宮崎の疲弊は著しいとあって、「シン・どげんといかん」と返り咲きを狙っているのが東国原氏だ。
8月の出馬表明後は1期で退任したおわび行脚に徹したが、告示を前にシフトチエンジ。「知事は゛宮崎県株式会社゛の社長。トップセールスマンにならないといかん。沖縄がハワイなら、宮崎は緑と太陽と自然のフロリダ」と宮崎のフロリダ化を掲げた。知事を退任した後も元宮崎県知事の肩書や各種観光大使で宮崎のアピールに徹した自負があり、河野氏の姿は物足りない。クレイジー君は当選目的ではなく、前回の知事選の投票率が33%と過去最低だったことに地元出身として、黙っているわけにはいかなかった。 (10日の新聞記事より)
〇諸県弁: 宮崎の方言は可愛いと言われます。その理由に濁音が少ないことや、「~ちゃ」や「~ちゃがぁ」という語尾が挙げられます。日本人は濁点の少ない言葉に女性らしさを感じるので、方言の中に濁点が少ない宮崎弁を可愛いと感じるのです。また「気を遣わなくても良いよ」を宮崎の方言で言うと「気を遣わんでも良いっちゃがぁー」になります。このように語尾濁音がなく尻上がりのイントネーションなので柔らかく聞こえ、可愛いと感じるのです。(Wikipedia)「うる星やつら」のラムちゃんが宮崎弁と同じく佐渡弁で「~ちゃ」を使います。高橋留美子先生が新潟の出身だからですね。
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〇ワールド海外メディアは、森保監督(54)の試合後の「6秒間」の行動に関心を寄せている。クロアチアに敗退した後、日本のサポーターがいるエリアのスタンドに近づき、深くお辞儀をして、W杯の最中にずっと無条件にチームへの応援をしたサポーターに感謝を表した! 試合に敗れても礼節を欠かさなかった日本人指揮官の姿に、海外メディアも敬意を込めて報じている。
〇ドイツ戦の試合終了後、スタジアム関係者に残された日本サポーターたち。目立ちすぎて怒られるのではないかとソワソワしていたが……現れた関係者は「ここにいる日本人ファンにお礼を言いたいです。「アリガトウゴザイマシタ」と、開幕戦のあとゴミ拾いをした日本サポーターの行動に感謝の言葉を述べた。予想外の言葉にサポーターたちも沸き立った。 ゛ゴミ拾い゛に感銘を受けたカタールの運営委員会も日本のサポーターを表彰した。代表して受け取ったのも、被災地から招待されたメンバーだった。
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〇失語症友の会へ便りです。 私も失語症(樫元さんと同じ右まひ)なので、宮日新聞を食い入るように「そう、そう!わかるわ~」と読み進めて参りました。私は29歳の時に倒れました。それ以来両親のいる17年間お世話になっております。今、パソコンも左手です。樫元さんと同じですね。打つのは遅いですが、パソコン・スマホは、私がこういう病気になるのを知っていたかのように、非常に便利な武器ですね、
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〇静岡の特産といえばお茶、そして大井川などの河川があって江戸時代は夏は通行止めなることで有名であった。なぜ安倍川もちを知っているか?といえば私の母が静岡の出身であったことです。
茶店で時を待つには安倍川餅が安くて最適だった。その安倍川餅、むかしのこと徳川家康が茶店に立ち寄ったところ、上流でとれる砂金に見立てて、つき立ての餅に黄な粉をまぶし出したところ大層喜び安倍川餅と名付けた、という伝承がある。 その安倍川モチを自身が子供の頃からおやつに食べていたのを、わが子に食べさせようとしたものだ。 作り方は簡単で湯どうしして柔らかくした餅に、黄な粉をまぶしその上から白砂糖をかける。これで出来上がり、母が作る安倍川モチの味は格別だった。
〇サッカーW杯での日本代表やサポーターに注目しており、試合後の競技場での清掃活動も紹介している。地元紙トリビユーンは「清潔は敬神に次ぐ美徳」ということわざを引用しながら、「日本人はまさにこの言葉を体現している。日本人にとって、掃除はその場所に対する敬意の表れである」とたたえた。 「W杯史上最もドラマチックな夜の1つ」と表現した。 対スペイン戦での勝利! キャプテン翼が現実に!スペインメディアは、漫画やアニメで描かれた日本選手の強さが現実になった!と評価した。第一生命経済研究所の試算では、W杯に伴う国内の経済効果は現時点で、サッカー関連で111億円、飲食料品などで52億円に上る。
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〇世相を反映した言葉を選ぶ「2022年ユーキャン新語・流行語大賞」が12月1日発表された。年間大賞には、プロ野球で史上最年少の3冠王となった東京ヤクルトスワローズの村上宗隆選手にファンが付けた呼び名「村神様」が選らばれた。 きつねダンスも大賞ではないが入った。
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〇こんにちは!「逗子の散歩道」をありがとう、感動しました。「私たちは緑いっぱいの池子の森をのんびりと歩きながら 「こんなところに高齢者施設があったら、散歩もできて良いよね!」「総合病院も良いよね」「そうだ、市営墓地がほしい」などと勝手なことを呟きながら、散歩と昼食休憩で半日をごすことができました。公園の奥には池と小さな川もあり、蛍の時期には鑑賞会が開催されます。こうゆう気持ちになる文章はさすがです。須田さんに乾杯! 小冊子「シニアのための逗子散歩道」から、
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〇こんにちは! なぜ日本人が試合のあとゴミを拾うのか? サッカーの話題から、
カタール放送局の女性記者が「なぜ、日本のサッカーファンは試合後に清掃するのか?」と疑問をもった。サッカーのカタール・ワールドカップ(W杯)は日本人サポーターが試合の後の客席でゴミを拾う様子が話題となり、今や各国のサポーターに普及した。女性記者サンドラ・ガスマンさんが、会場外で日本人サポーターを取材。「あなたたちは世界中で有名です。なぜ日本のファンは清掃をするのですか?」などと質問した。注目されたのは「当たり前」という日本語だ。 一人の女性サッカーファンは「言われているのは、使う前より使った後を綺麗にすること。それは当たり前。いつも感謝の気持ちを持つことを習っています」と言い、複数のサポーターが使った「当たり前」の言葉にガスマンさんもひどく関心を示した。
また、別のサポーターは「対戦相手にも敬意を示します。空手や武道などでは勝った喜びを出しません。」と言い、中田英寿のポリシーや、日本ならではの武道の精神が理由にあると、思い思いに回答。「世界中にもっとこれが広がればいいと思っています。」という答えで映像は締めくくられた。
〇こんにちは! 「失語症、一人で悩まないで!」 私が脳出血で倒れて右半身がまひし、失語症になったのですが、「失語症友の会」を立ち上げ、経験談を伝えるメールマガジン発行やメールでの相談対応に乗りだしていることが宮日新聞に大きく載り、かなりの反響を呼びました。県紙なのであなたの地方では読まれませんが、私の活躍ぶりをホームページで見て下さい。
〇愛媛から手紙が来た。木口喜博君だ。「洋ちゃん元気そうで何よりです。美人のお母さんにだんだん似てきますね。先日は新聞のコピーありがとうございます。いつもブログを拝見しています。」中学時代の後輩である。内海村の村長までした人です。自分でいうのも変だが私の母は美人だった。独身のころ横浜の日産自動車の本社の受付嬢をしたこともある、ということだった。それがなんの間違いなのか農家の嫁になった。母は美人だが子供は並みだった。
〇「日本のチカラ・生きがい」障害者支援の現場から、脳出血の後遺症 都城の永野さんからDVDに残っていたので本当にホッとしました。2枚ダビングして送ります。もし、欲しい方がおれば追加で差し上げて下さい。よろしくお願いいたします。 取材は大分のテレビ朝日の藤澤記者です。脳出血の後遺症の方へおすすめです。
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〇こんにちは!アニメ映画「すずめの戸締り」が宮崎の日南地方を舞台に今人気の新海監督の最新作である。宮崎県の静かな町で暮らす高校2年生の岩戸鈴芽はあるとき、草太という旅の男の子あった。草太は廃墟に向かう途中だった。災いをもたらす扉が全国各地ににあらわれる…それは地震である。愛媛や東北の岩手にも現れる。
なぜ日南が舞台になったか?といえば日向灘が地震の巣であるから… 観客動員数11月19日20日になんと82万人、興業収入41億円をあげた。映画を観ていたファンが最後に「協力・外浦漁協」の文字が現れてビックリ、舞台は宮崎だ!そう言えば時々現れる海の綺麗さが日南の海だ!そして水平線の彼方の雲もいい。駅で流れる音楽も「銀河鉄道999」、スナックで「ギザギザハートの子守唄」など懐かしい曲が流れてくる。セントラル宮崎で上映中。岩戸という苗字も高千穂の岩戸神楽の神話を連想させる。
伝説の主役は天照大神です。弟の乱暴に怒り天岩戸に籠ってしまいます。そこで八百万の神々は天岩戸の場合に集まり会議を開きました。芸能の神で有名なアメノウズメが岩戸の前で髪飾りをした女が賑やかに舞いやおどりを踊りました。踊りにつれて彼女の衣がとうとうはだけていき神々はどよめきました。すると天照大神はそっと岩戸をあけました。その時、岩陰で待ち構えていた天手力男が岩戸に手をかけ一気に岩戸を開けて天照大神を迎え、再び太陽が輝きだした。 ・
〇こんにちは、お元気でいらっしゃるでしょうか?「すずめの戸締り」が宮崎県を舞台にしていると聞き、驚きました。是非映画館で観たいなあと思います。ところで私は障がい者枠で就職が決まり、今週から出勤でした。しばらくはバタバタでしょう。樫元さんもご自愛ください。 アニメ映画ファンのB子より、
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〇ふるさとの柏、といっても誰も知らないので愛媛県の南にある柏という村で、久しぶり同級生が集まった。70歳をすぎると全員には連絡することはなかなかだ。知ってる同士が集まって開きました。同級生の旅は、沖縄の旅とハワイの旅も載せました。
旭屋で7月に70歳のお祝いの乾杯をしました。昭和33年卒の同級生です。伊藤瑞枝さん、佐納モト子さん、樫元 洋さん、上田(東)強さん、川口貴司さん、山本トミエさん、中山仙一くんの7人です。笹谷ナミ子さんは「私も行きたかった」。高橋義幸くんは「一声でも皆の声をききたい…」と電話がありました。 高橋アイコちゃん、松本正子ちゃん、瀧岡カッちゃん、橋本忠登くんがいればねぇ…と、金色に輝く夕陽の彼方に行ってしまった彼女や彼の思い出の話しをしました。カッちやんは同級生との会合にあんなに出たかったのに…と、いまは星の世界で遊んでいるかな? 最近の同級生の様子などをしらせたりしてアッという間に時間がたちました。ふるさとの海や山の珍味でした。70歳をすぎての集まりだから少人数もやむをえません。 今日来なかった人に「寄せ書き」を皆で書きました。「また寄ろうや!」と瑞枝ちゃんが言いました。
山崎瑞枝ちゃんから2014年1月元旦の年賀がきた。「お身体の方いかがですか?少人数でしたが本当にうれしかったです。私達も72歳、残された人生を大切にしましょう。」とありました。それを言いたかったのでしょう。ハガキを書いた直後に本人が脳卒中で倒れて何も分からなくなろうとは…
同級生で沖縄の旅に行った。五人だった。2004年4月。佐納モト子さんの父が沖縄の海戦で死亡し、名前が平和の礎にあるので、その名前を見に行った。後日モっちゃんから葉書が来た。月日の立つのは早いですね。この前と思ったのが15年立ちました。私にとって念願の沖縄旅行、平和の礎でのあの涙ながして父の名前をさして写った写真、額入りにしています。毎日ながめて、かっちゃん楽しかったね!と呼びかけます。三日三晩深夜まで楽しくおしゃべりしたのが昨日のように感じます。
そして海外旅行にも行った。2006年4月。ハワイだ。ワイキキの海岸で泳いだ。プリンセス・カイウラニ ホテルに泊まり朝食は庭で小鳥たちと一緒に食べた。言葉は柏弁でOK。常夏の国。ポリネシア文化センターで本場のフラダンスを習い、マハロ~ありがとう!とハワイの言葉を習いさっそく使った。おみやげにムームーやTシャツを沢山買った。朝食をみんなで囲み、カっちゃんは「しあわせ~!」 最終日にワイキキの海岸で録画に 「台所のかたずけでも何でもするから、帰りたくないわ!」と言った。
同級生の山崎瑞枝さんが阿弥陀さまの浄土に行った。2014年1月元旦の年賀状が瑞枝ちゃんからきた。「お身体の方いかがですか?少人数でしたが本当にうれしかったです。私達も72歳、残された人生を大切にしましょう。」とありました。それを言いたかったのでしょう。運動クラブでは才能を発揮、また美人でもありました。男の子には人気がありました。
ビーチで還暦同級会があった。23人が集まって賑やかだった。四国の田舎であったが、小さいころから住みなれた所で小中学校の仲間は一緒でまるで兄弟みたいだった。