「つきあいだば」 牛を昔は飼っていました。農繁期には牛や馬が大活躍して農作業をする役割でした。冬はその牛たちで「つきあい」をさせ、優勝は〇〇牛、準優勝は〇〇牛と優劣を競わせました。優勝牛は立派なのぼり旗と優勝旗がわたるのです。この優勝旗は牛の背中にかけ派手な刺繍をいれた立派なものでした。もち主は鼻たかだかです。闘牛場が「つきあいだば」といいます。脇田の山田牛や奥の樫田さんとこなど熱心な農家がいて賑わいました。皆で応援しました。普段は牛馬の草刈り場として使われ、子供の遊び場でした。

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でもはぜの木が多く梅雨時はあまり行きませんでした。かぶれるのがイヤだったからです。柏は「はぜの木」がロウをとるため植えられ「つきあい駄場」のまわりにもありました。ちいさい村で闘牛場があるのは当時さかんに「つきあい」の好きな人が多かった証拠でしょう。五月ごろには草場のなかでアザミの花があちこちに咲ききれいでした。 

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夏になると、地域の子供たち(小学校の低学年生)は「盆めし」という風習に参加しました。「つきあいだば」の近くに川がありました。そこですこしお姉さんも加わって半日キャンプのような楽しい行事でした。夏のお盆の時期になると、近くの川原で子供達がグループを作って自炊しました。

水のきれいな所に陣取って、前日から石で囲ったおくどを作り、薪を近くで集めてきて用意してます。当日は朝から鍋や釜を持参、さらに茶碗や箸など食事に最低限必要なものをカゴなどに入れて持ち寄ります。幼少の子はただ連いてくるだけです。

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それからさきは女の子の出番です。たいていはカボチャを切って煮ます。ダシはイリコやコンブです。男の子は飯釜の火が順調に燃えるよう火の番をします。そうしているうちにカボチャの煮鍋からうまそうな匂いがしてきます。お漬物などを小皿についで、煮物を椀に配り、車座になって皆で昼食をします。

これを「盆めし」といいました。子供たちの盆の行事でした。奥の小島の絹ちゃんの話しでは、自分たちは「女の子だけ」で盆めしをして、ご飯は「あずきご飯」だった。と言っています。男の子に「元服式」があるように女の子にも少女から「女性」の仲間入りをするハレの儀式の意味もあった、と解説している本もあります。

しかしお盆に行われたのは、やはり先祖の霊を迎え、また川や海に送り流す風習の一環でしょう。供養されない無縁仏は子供の姿かりて現れる、という、言い伝えもあり、それらの供養のため行事だったのかもしれません。いつの頃からかこの行事もすたれていき、現在では「昔し話」として残るだけです。