1971年の番組です。MRT宮崎放送の「テレフォ ン・ナイト」という電話リクエストです。高盛恵子アナとコンビを組みました。その当時は普通の電話しかなく、携帯もありませんでした。しかも番組の中放送するのは電話を録音スタジオで録ってから、良いものを選んで放送していました。そのうち生対応できるようになり、アナとリスナーが生勝負で面白くなりました。私が27歳の時です。

懐かしき映像 (3)            担当の高盛恵子アナと樫元 洋アナ(土曜日夜7時30分~10時00分)

ジミー・スミスのジャズ・オルガンのTMにのせて「テレフォン・メイツの諸君、今晩は!」と土曜日の夜7時半から電話リクエストがはじまる。この日は高盛さんがMRTを辞めるので「かなしいな、」との気持のまじった週でスタジオにはカメラマンが来ていた。いつものように電話番号の案内「宮崎23-4141」スタッフはミキサーが黒木さん、レコード室の伊地知さん、受付は宮崎女子高の皆さんです。今週はテレフォン・ナイト号はどこに行くか?のちほど発表します。 尾崎紀世彦の「また逢う日まで」、へドバとダビデの「ナオミの夢」、ジェリー・ウォレスの「マンダム~男の世界」によくリクエストが来ています。

IMG_0001                 番組の宣伝用に使った。QSLカード 山本俊六郎さん画

19テレフォンナイト白黒                 スタジオで話す人と直前にお名前とリクエスト曲きく…                                                                                            −               電話がない人のためにハガキでも受け付けた。

IMG_0004               ディレクターの宮田節子ちゃんも入つて三人でパチリ!

image31                   当時のMRT宮崎放送本社 宮崎市下北方町858番地

土曜日の夜7:30分~10時00分までは人気番組になりました。高盛さんは「おうろんチャン」のCMで人気でした。街角の赤電話には若者がリクエストしょうと何人もつめかける状態でした。本社スタジオは下北方にありました。2階だてでした。23-4141番でリクエストを受付ました。宮崎女子高の放送部の生徒が受付係でした。写真は昭和47年の2月です。高盛さんがアナをやめるので私の友人の県広報課の日永さんがスタジオで撮ってくれました。

<当時のファンの思い出> 延岡の兵頭頼明くん。小学生の頃からMRTラジオを聴いておりましたが、そのスタートが「テレフォン・ナイト」でした。電話がつながらなかったのでもっぱら葉書でリクエストしておりました。ハガキが読まれ、リクエスト曲がオンエアされた翌日は、学校でヒ―ローになれました!自分が放送の道を志したきっかけを与えてくださったのはテレフォン・ナイトの樫元さんだったのです。生来の映画好きが高じ、フジテレビでDVD映画の紹介をしたり、日本映画navi(産経新聞出版)にコラムを連載しております。

2015-4-19 兵頭くん (3) 延岡から大学は東京に進み現在はニッポン放送に勤務しております。私が四十余年、直接お会いして、ようやく御礼の言葉をお伝えすることができました。  平成27年2月、延岡に帰省のおりに私宅を訪れてこう述べた。ネット系列が違うとそういう事もある。ニッポン放送もFMをするという事で、おなじ事情でMRTと話しがあい春山社長に 「実は昔テレフォン・ナイトという番組があって…」と東京でテレフォン・ナイトの話が出ようとは! それで帰省のおりに寄ることになった。上岡アナ、東アナの当時の話もでた。中学から高校の時期はいちばん感受性の強い頃である。ところで(兵頭)TMをまえから欲しいと思っていたJimmy Smith の Whos Afraid of Virginia Woolf?を輸入盤で手にいれました。およそ40年ぶりに聴いて懐かしかったです。

SE リーン、リーン (電話の呼び出し音)SE ガチャ (受話器を取る音)(タイトルコール)「テレフォン・ナイト!」TM (MC)「テレフォンメイツの諸君、今晩は!そして恵子ちゃん今晩は!(こんばんは!)樫元 洋です」これが番組オープニングです。TM曲のジャズオルガンにのせてスタートします。しかし原曲はすこし長いのです。考えられるのは、ディレクターがイントロを1フレーズ落とすことでとてもシャープになり素晴らしいテーマ曲になります。樫元さん当時のこと覚えていますか?(樫元)番組を録音したものがあります。それを聞けばわかります。(兵頭)当時の音がありますか!ありがとうございました。やはり1フレーズ切っていましたよ。記憶は確かでした。いやあ懐かしかったです。たのしい時代だったなあと、しみじみ思います。次にお会いする時はもっとお話を聞かせて下さい。

                     

「当時のファンの思い出」 当時高校生の龍也君からの手紙です。テレフォンナイトを毎週楽しみに聴いておりました。1972年の時です。番組でクイズがありました。電話をかけて一番早く電話がつながってクイズに正解したら番組特製のTシャツを貰えるという内容でした。出題された曲の題名を答えるという内容でした。私は曲を聴くなりすぐにダイヤルを回しました。0985-23-4114(兄さん良い人よ。でした)なんとトップで電話が繋がりクイズにも大正解でした。その時の出題曲は、サマー・クリエイション/ジョーン・シェパードでした。樫元アナと女子アナともお話が出来大興奮したことを今も昨日の事のように覚えております。私は宮崎実業高校(今の日章学園)の1年生で、綾町に住まいしており「綾弁」丸出しでお話したように思います。翌日、学校で同級生数人から「昨日ラジオ聴いとったよ。」「Tシャツ届いたら見せてな。」みたいなやり取りをしました。あれから何年経ったのでしょうか、私は現在は大阪の阿倍野区に住んでおります。今年60歳になりました。

「私のMRT」  昔の人気番組を再現、なつかしいテレフォン・ナイトやアニメランドを聞くもので30分番組です。平成19年2月放送。テレフォン・ナイトは1971年に放送した分の一部を聴いた。カセットが出はじめでの頃で、それをスタジオに持ち込み同録した。カセットテープで貴重なものだ。ジミースミスのTMオルガンの演奏で始まり「テレフォン・ナイト!」と女性アナウンスが入りリンリンと鳴る、下北方のズタジオからお送りするテレフォン・ナイトです。昔は電話のベルの音が入った。そして受付の騒音の音のなかでリクエストがはじまる。当時よくリクエストがあったのはサマークリエイション、ガロの学生街の喫茶店などだった。その頃の放送が今きけるのは本当に貴重です。