私が中学生の頃、理科の時間に植物採集がはやりました。担当の大野先生の影響で身のまわりにはどんな植物があるのか調べてみようと提案があり、ドウラン(胴乱)をもち、片っぱしから名前を調べ始めた。胴乱というのは採取した植物をそのままで保存するブリキ製の肩からヒモでぶらさげるものです。野の花の名前はどれも知らなかった。

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調べてみると、どの花にも立派なそして可愛い名前がついていた。私は夢中になった。当時、牧野富太郎の書いた牧野日本植物図鑑をみてますます植物学が好きになった。そのなかに土手の草のなかに可憐な花が咲く植物は知っていたが、収集当時なにげなく見のがしていた。ただあまりに花らしいので園芸植物かな?と思っていた。…しかし雑草の中だ。

誰に聞いても、名前は知らない花であった。川原によく咲いており、薄紅色で梅雨時に咲く花です。スイセンの花に似ているが、子供のころ、手に取って遊ばなかった。根が有毒らしいという理由があったのかも知れません。近年この話しを友達にすると 「それはタマスダレじゃないかな?おじいちゃんが云ってたようだ」と云います。私は故郷の友人に確かめました。

「あのピンク色の可愛い花で梅雨どきに咲く花の名前は正式には…」 しばらくして、彼女から返事があった。「ヒガンバナ科のゼフィランサスといいます。メキシコが原残で、雑草ではなくレイン・リリーという愛称まであります。だから川むらになにげなくはえているから雑草と間違えられますが…」と彼女は言った。

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「牧野」で調べたこと…。彼女にとって牧野という名前を中学以来久しぶりに発音する言葉であった。私が植物採集が趣味だと憶えていたのです。なんだか嬉しそうでした。ピンクの花「ゼフィランサス」というのは言いにくいので愛称は「レイン・リリー」。雨が好きな花です。田舎の土手に今年も咲くことでしょう。

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草の葉で食べられるものと危ないものは正子さんは知っている。土手にはえている草で名前を知らない可愛い花についても知恵をかりた。野の草や海藻までよく知っている。アっそれはダメ、それはいい!そして地図をよく見て私たちが知らないところまで知っている。そしてあちこちへ行っている。熊野や早春の伊豆の旅などずいぶん助かった。 

 

「ヤマモモの思い出」     中2の時でした。7月の日曜日。かっちゃんと正子ちゃんはバレー部員で仲良くしていました。かっちゃんのお母さんが「いまヤマモモがいっぱいなっているから、正子ちゃんとモっちゃんでヤマモモとりにおいでや、」といいました。「ほんなら行こう!」と何キロも田舎道を徒歩で歩いていきました。木陰が多かったです。バスで行くと30分はかかります。村堺をすぎ、諸手をすぎました。この道をかっちゃんたちは毎日中学へ通ってくるのです。堀切まで行くともうかっちゃんとこだ。涼しい風がふき蟹がいた。着くと「よく来たね!」かっちゃんは「モっちゃん早く!」といいました。丁度ヤマモモがたわわになっている庭の二本の木をみて三人で食べなさいと云いました。お互いに木の幹に登って赤や黒になったヤマモモを食べました。口が紫色に染まるほど食べました。おしいかったです。お母さんが「木からから落ちないようにね。サルも木から落ちるといわれるけど!」といいました。楽しい一日でした。

帰りは柏までバスで帰りました。後年貝塚の店頭にヤマモモがでると中学時代の懐かしい思い出を思い出します。これはモッちゃんの話です。では当時菊川から柏をみるとどんなに映っただろう。瀧岡のかっちゃんにきくと、それは町だ。港があり漁船が出入りしており、なにしろ中学校があった。町にはいると松本蒲鉾店があり、バス停には旅館があった。店もあった。菊川は農村ばかりです。そうか柏は田舎町だとおもっていたが菊川から見ると立派な町だった。トビガスという岩があり、そこから先は菊川までは家もなく海ぞいのしずかな田舎道だった。朝、かっちゃんたちは毎日柏に入る定期貨物船と競争するように歩いたという。その船は宇和島に行く貨物船であった。

沖縄の旅のビデオを見ていると、大声で笑顔のかっちゃんが「モッちゃんまた菊川まで遊びにおいで!」と私に言っているようです。