かけ足時代の思い出 樫元 洋(MRT)
昭和32年に小田不二夫アナウンサーがユアヒットパレードをはじめた。その頃「ラジオ宮崎」といった。洋楽のベストテン形式の番組は文化放送、南日本放送でもあった。「いまどんな歌がヒットしているか?これからどんな歌がヒットするか?」という歌い文句ではじまる。甘い声で人気があった。テレビ開局で「MRT宮崎放送」となり、小森アナが熊本に帰るため辞め、新人の私が「ユアヒットパレード」の後継となった。1965年、昭和40年のことだ。
洋楽は好きだが番組の担当となるとちがう。一人しゃべりで50分、しかも毎週だ!洋楽のファンはなかなか詳しい。西村楽器店によく行ってはファンの気持をしらべた。ミュージック・ライフは月間誌だがこれを読み情報誌は少なかった。民放のラジオ局は宮崎ではMRTだけでよく聴かれていた。自分の好きな番組は初めて担当したユアヒットパレードだった。いまでも音楽ファンの中には「昔よく聴いていましたよ!」という声をきくことがある。形式はすこし違うが、上岡アナが番組をやっている。これまでに私が担当した番組です。 テレフォン・ナイト、くらしのレーダー、洋と潤子のあなたがえらぶ歌謡曲ベスト20、奥さま9:30(テレビ)、アニメランド、二ュ―スワイド(テレビ)、おやじバンド万歳!(テレビ)
テレビの番組はラジオと違って司会者の役割が大きい。今日のゲストは…司会者がそこをかんで内容をひきだす。昭和60年1985年MRTが橘通に移ってからだった。
「奥さま9:30」 司会
テレビの司会者の仕事は、全体の雰囲気を笑顔の中で掴むこと…ワイドショーは生だから面白い。ずいぶんの人が動いている。川上アナ、中根さん、そして上野さん、エレクトーンの皆さん、テレビカメラや照明係等の人が動き、制作陣は倉迫さん、岩本さん。早朝出社で月~金のワイドである。玄関前中継は武中吾子ちゃんだった。
ゲストは松坂慶子さん、お相手は谷川典子さん。 テレフォン・クイズ
「アニメランド」
60回の公録に東京の人気声優をゲストに呼んだ。地方局のラジオ番組としては全国区で有名であった。番組のOP曲には重戦機エルガイムから進撃エルガイムをつかった。後TMには「わが青春のアルカデア」を使いまた来週!というイメ―ジだった。
伊籐佳子アナとスタジオで 公録のにぎわいえびの高原ホテル
リクエスト曲の音源がMRTにない場合はリスナーからレコードを募集したり、アニメの劇場版の音声を数週分に分割して流すというコーナーも存在した。アニメの曲はかなず完奏させる。途中でFOはしない。三ヶ月に一回声優を招いて行われる公録には「いってもらいたいセリフ!」「アテレコに挑戦!」などがありファンが熱狂する。えびの高原でお泊まりイベントでは半数が県外からだった。
アニメ公録で西都市に行った。11時ごろ現地に着いた。すこし早いので西都原古墳にでも行ってみましょうか?と田中真弓さんとマネジーヤーを観光ドライブに誘った。二人は機嫌よかった。飛行機のチケットに二人の年令を27歳と28歳と私が書いて東京のプロダクションに送ったのです。私に女性の歳はきけません。それが良かったらしいのです。田中さんは「天空の城ラピュタ」や「ドラゴンボール」のクリリン役をしていました。かならず男の子の役で「可愛い女の子をやってみたい!」と、西都原見物も公録も上機嫌でした。
佐土原先生と宮崎少年少女合唱団が出たことがありました。宮崎空港の食と緑の博覧会です。 クイズコーナで「つぎの曲名を答えください」♪トトロ~ハーイ!一斉に手があがりました。イントロでわかったのです。正解です。結局宮崎少年少女合唱団は唄えなかったのです。この時のゲストは高山みなみさんと中村大樹さんでした。「魔女の宅急便」のキキで、「魔法がなくなっちゃう~」を生でききしびれました。